2022年は仕事が辛かった1年だった。
新年に、今年は仕事ばかりしないことを目標にしたばかりであった。
1月中は土日には予定を入れたり、平日の夜にも美容院などの予定を入れたりして、強制的に残業ができないようにした。
仕事の効率を上げて、残業時間を減らすことには成功していた。
しかし、2月から人員の配置換えがあり、新しい業務が増えた。
私は今までの仕事に加えて、別分野の仕事をするようになった。
残業をすることは許されたが、その分長時間労働になり、プライベートの時間が全くなくなった。
◎ ◎
何よりも体力がきつかった。
元から持っていた業務が、年度末の忙しい時期にも重なり、会社から帰れば、ご飯を食べてお風呂に入って寝る生活を続けていた。
たまにお風呂に入ったはいいが、髪の毛を乾かす前に寝てしまい、次の日の朝、大爆発した髪型で目覚めることもあった。
電気代が高騰している中で、電気をつけたままうたた寝をしてしまうことも多々あった。
布団をかけ着ておらず、寒くて起きたことは数しれない。
風邪をひかなかったことが奇跡だと感じるくらいだ。
そして体力的にだけではなく、精神的にもしんどかった。
残業を重ねても終わらない仕事をこなしながら新しいことを覚えることは、想像を超える大変さだった。
2月と3月の記憶がないぐらい目の回る忙しさのまま、年度最終日の3月31日を迎えた。
もちろんこの日で全ての仕事が終わるわけではないが、3月末までの仕事という意味では大部分の仕事がこの日で区切りを迎えた。
そしてチームのお疲れ様会と送別会を兼ねて 飲み会を開いた。
会は大盛況のまま、送別される側の人たちの最後のコメントに進んだ。
2年間お世話になった上司が別部署に異動ということで、今回送別される側の人であった。
自分でも予期していなかったのだが、上司の最後の言葉を聞いて、涙してしまった。
上司はどんな仕事でも楽しいと言うタイプで、どんなに帰りが遅くなっても辛いそぶりを全く見せていなかったのであるが、このポジションにいた期間を振り返って、「辛かった」と言っていたその言葉を聞いて思わず涙があふれた。
お酒が入っていたとはいえ、同じチームのメンバー12人に囲まれていた。
今思うと感情が高ぶりすぎていて、恥ずかしい限りなのだが、なんと上司も泣いていた。
家に帰ってからも泣いた。
良い評価をくれた上司が変わってしまう寂しさゆえなのか、今年から私がチームでは在籍が一番長くなるプレッシャーなのかわからない。
悔しかったのか、不安だったからか分からないが、暫く泣いていた。
おかけで次の日は過去に例を見たことないレベルで目が腫れていた。
2022年度は、気丈に振る舞っていながらも、会社からの帰り道、音楽を聞いているだけで泣いてしまいそうになるほど疲れていた。
一人で問題を抱えてしんどくなることもあった。
他の部署から自分では解決できない無理難題を、忙しい上司に変わって押し付けられることもあった。
それと同時に「全ての責任はとるから、やりたいことをやりなさい」と言ってくれた上司の言葉に何度も救われていたことを思い出した。去り際の言葉に抱いた感情の名前が知りたい。