19歳の今、私の幼少期の、他の人は決して体験したことのないであろう体験談について語りたい。
私の実家は、茨城県東茨城郡茨城町という茨城の主張の強い場所にある。ご想像の通りかもしれないが、その町は茨城県のど真ん中に位置する。しかし、駅もなければ、バス停でバスをいくら待っても来ない。バスは数年前に運転が休止されたからである。右を見ても左を見ても畑だらけで、少し進めば森の中というような、とんでもない田舎で育ってきた私だが、実家の道路を挟んだ目の前には、乳牛が何頭もいた。
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私の両親は、牧場を営んでいた。家の中に居れば、牛の鳴き声がすぐ聞こえるし、夏になると、うちの庭は牛糞のにおいで臭かった。しかし、小学校に入学してから小学5年生くらいになるまで、私は牛のお世話の手伝いをすることが好きだった。なぜ手伝い始めるようになったかはわからないが、母と一緒にいれることや褒められることがうれしかったような気がする。まだ体が小さく力も弱かった私が手伝えることがそう多くはなかった。
牛の水桶にホースで水を入れてあげたり、近所の農家さんからいただいた腐って人間がたべることが出来ないサツマイモやトウモロコシなどを餌箱に入れてあげたりした。小さなころから牛が身近な存在であるということも貴重な経験であると思うが、積極的に牛に関わってきたため、もっと貴重な経験をたくさんした。時に、牛のお産を目の当たりにし、子牛がなかなか出てきてくれないときは、子牛の脚にロープを縛り、両親と一緒に引っ張った。小学3年生のころには、後ろ脚から正常に出てきてくれることにはホッとしたし、産んでからも、母親が子牛を包む膜を舐めてくれないときはひやひやした。それに、ほかの人が使わないであろう「種付け」という、赤ちゃんづくりの第一歩的な言葉も聞きなじみのある言葉だ。
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何より、思い出すのは、子牛の可愛さである。産まれたばかりの子牛は立つのもやっとでふらふらしているし、毛並みは一頭一頭に個性はあるが、ふわふわしていて触り心地が良い。
勘違いしているかもしれないので言っておくと、白黒模様で有名な牛だが、白と黒の毛でおおわれている。そんなかわいい子牛に、かわいい頃の私は、ミルクをあげていた。ミルクをあげるために、私の小さな手を子牛の口に突っ込む。すると、子牛はちゅっちゅと吸ってくるのだ。私の手をおっぱいだと思っている。牛の口は、あたたかい。そして、吸引力がすごい。その頃の私は、牛に手を吸われることが大好きだった。寒い冬の日は、その子牛の口の中がカイロ代わりのようだった。
思春期だった中学生、高校生時代は、実家に牛がいるということを友達に知られたくなかった。でも、大学生になり一人暮らしを始めて、胸を張って語りたい。
私は牛に手を吸われたことがあるのだ。