休日は感情が襲ってくる。
平日はいつも仕事のことでいっぱいいっぱい。体や脳の疲労で、感情は抑えられ、感受性は鈍くなっている。立ち止まって考えている暇はない。
そんな生活を送っている中で、たまに何もしなくていい休日があって、仕事のことを横に置いておけるような状態になると、普段閉じ込めている感情が一気に押し寄せてくる。
「○○が悲しかった」「この前の△△は嬉しかったからもっと頑張りたい」「××のことが嫌いで耐えられない」「人生このままでいいのか不安」など、次から次へと押さえていたいろんな感情が湧き出し、私の頭の中で行き来する。一人で家にいてもうるさくてくらくらする。
友達と会ったり趣味の活動をしたりすると、いったん仕事からも感情からも切り替えられることができるが、感情はその間も積み重なっていく。どこかでこの感情の片付けをしないといけない。
私にとって休日の満足度は、感情が整理された状態で平日を迎えられるかにかかっている。
感情をほどいて整列し、ラベルを張る。私流、感情を片付けるステップ
「自分の機嫌は自分で取るのが良い大人」と言われている通り、感情の片付けは大人の永遠の課題であり、私の周りにいる素敵な大人はそれぞれ対処法をいくつも持っている人が多い。対処法は自分で見つけていくものだと思うが、私の場合、感情の片付けをするために、いくつかのステップが必要になってくる。ぐちゃぐちゃの感情をほどいて整列させ、ひとつひとつ特定してラベルを貼り、場合によって感情の出し入れできるように片付けるというステップだ。
そして地味に一番難しいのは、ぐちゃぐちゃの感情をほどいて整列させることである。怒りや悲しみ、喜びと言った感情は必ずしも一つだけの出来事から発生しているわけではない。これは何に対しての怒りなのか、何に対しての喜びなのか、そして、向き合うべき感情はどれなのか。
普段からきちんと感情に向き合えていればそうはならないのかもしれないが、箱を開けずに詰め込みすぎると、いざ開けたときに混乱して思考停止してしまう。また、普段は感情や感性をあえて鈍くして生活しているので、休日に突然感情を復活させるのも難しい。
感情の渦に飲み込まれそうな時は、外からの刺激を求め近所の商店街へ
そんな、感情の渦に飲み込まれそうになる時に、私がよく足を運ぶのが近所の商店街だ。好きなケーキ屋さん、好きな雑貨屋さん、好きな八百屋さんに好きなお肉屋さんと、お気に入りの定番コースを一人で回る。スーパーやショッピングセンターよりも、人の人生の一部に触れられるような温かみがあって感受性も復活するし、いろんな人が自由に過ごしていて、多少考え事しながらぼーっと歩いていても大丈夫なところがお気に入りだ。そのコースを無心で、でも体で刺激を受け取りながら歩いているうちに、ごてごてした感情についている余計なものがそぎ落とされて、帰るころには結局自分は何がしたかったのか、一番優先したかったことは何かが整理される。後は家に帰ってその感情に名前を付けたり、場合によっては文章に書き起こす。
感情がシンプルになるメカニズムは自分でも説明できないが、外からの刺激の量がちょうどいいことが重要なのではと思う。これが知らない町で誰かと一緒だったとしたら刺激が多すぎるし、家の中で一人だったとしたら、感情の逃げ場や吐き出す先がなくなってしまう。
SNSにあげるようなキラキラした休日ではないけれど、私にとって大事なこの時間を、これからも守っていきたいと思う。