お気に入りの道がある。
どこにでもあるような住宅街の中にある一本道。
昼間は他の道と変わりないけど、夜になると魅力を発する。
オレンジ色の街灯だけがぽわっぽわっと灯って幻想的だし、人通りはほとんどなくて、水の中のように静かで音も無い。
ただ同じような家と街路樹が等間隔で淡々と配置されて続くのも、どこまでも終わりが無いようで、ここだけ別世界のようで、この道が大好きだ。
考え事をしたいときは、その道を通るためだけに夜、遠回りをする。
多いときは2往復するくらい、この道を無心でただ歩き続けるという行為が、私にとっては贅沢なひとり時間であり、癒しの時間なのだ。

◎          ◎

そもそも私は迷子になるのが好きだ。
スマホを見ればひとりでも海外の見知らぬ場所すらすいすい歩ける時代に、「お、ちょっとこれはまずいかもしれないぞ」という感覚に陥るのが非日常的でたまらない。
スマホで確認すれば大体解決するのだが、それでは面白くないので、迷子を楽しもうとまずはその土地の人の生活を観察することにしている。

駐車場に投げ出された子供用の自転車、小さな小窓の向こうに見える洗濯洗剤や詰め替え用のハンドソープ、誰かの家の夕ご飯の匂い、お風呂の匂い、全てがエモくて、なんだか泣けてくる。皆幸せに暮らしてね、と思わず願ってしまうような不思議な気持ちになる。
そういう小さな観察を終えたら、自分の世界に没頭するのが好きだ。
その街と一体化するような感覚で、水になって溶けこむかのような感覚で、考え事をしながらあてどもなく歩き回るのが楽しい。

見知らぬ土地で時間も、仕事も、目的も、自分が誰だったかも忘れてただ歩くだけの存在になるという時間、それこそが私に癒しを与えてくれる究極に贅沢な時間なのだ。
前述した近所のお気に入りの道は夜になるとその感覚を与えてくれるから好きなんだと思う。

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こうした事は、やる事が溜まっていたり、自分の心に余裕が無いと到底できない。
ある意味暇で何もやることがない時にしか出来ないスペシャルなことなのだ。
とはいえ、暇で自分の心に余裕があるという条件が揃っていても、ついつい目的のないネットサーフィンに時間を費やしてしまうことも多々ある。
癒されもしないし考え事もできないという、ただの徒労するだけの時間を過ごしてしまう現代病みたいなものから、うまく自分を守っていくことも課題だなあとつくづく思う。

誰にも邪魔されたくない時間を過ごさないための言い訳は、多分この世に百万個はあると思う。
自分だけの贅沢なひとり時間、それよりも大切そうに私の人生に並ぶものは沢山ある。
仕事、スキルアップ、勉強、ゲーム、インスタ、ツイッター、家事、友達と会うこと、恋人と素敵な時間を過ごすこと……。
ひとりで、自分の好きな感覚に意識を集中して没頭するという時間なんて、なくても正直やっていけるかもしれないけど、そんな時間を確保したいと思う自分であり続けたい。
だって、一番近くにいて、一番長く人生の時間を共有してるのに自分の声は一番聞き取りにくいから。周りの声が大きく聞こえてしまって、小さく感じてしまうから。
自分の声を聞くために、わざわざ大切そうな用事を全部ほっといて、今日もあの道へ散歩しに行きたい。