人生のなかで、史上最悪だと思う瞬間は更新されていく。嫌なことは記憶に残らないようにする私だが、そのなかでも忘れられない、記憶に残っている一日がある。
それは、就職試験の結果を受け取った日だ。

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大学4年生の初夏。約半年前から始まっている就職活動が本格化していた。エントリーシートを書き、就職希望先に送る。送付状の作り方や、経歴、アピールポイントなどをどのように書くべきか、といったセミナーにも通う。面接に欠かせない受け答えもスムーズにできるように練習する毎日。私の学部では、就職活動は比較的遅めにスタートしても間に合う。むしろ地元では夏が始まるまで募集が出ないところもあった。

私はかねてから関東で就職すると決めていた。地元では就職せず、これをきっかけに上京してやると、大学へ入った頃から決めていたのだ。もっとも、関東へ行きたい気持ちはもっと前から持ち合わせていたけれど。

私が最初にエントリーしたのは東京。関東にいくつか支店を持っていたが、本社勤務を希望してエントリー。選考は書類選考と面接のみ。書類は送ればとりあえず通してもらえるので、実質面接のみである。面接も、受け答えの方法や答える内容について考える。前泊したホテルで、何度も質疑応答の練習をした。ハキハキと、迷わずに話すこと。自分の思いを伝えれば合格できると信じて疑わなかった。

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そして来る面接の日。
指定会場に向かい、案内があるまで待機室で待つ。自分が部屋に呼ばれ、緊張しながらも、ノックを3回して「失礼します」と部屋に入った。失礼のないように、事前に調べておいた面接時のマナーをひとつひとつこなす。

ドアの閉め方、言葉の使い方、イスへの座り方。粗相のないように慎重に行う。面接では、志望動機と希望勤務地について聞かれた。必ず聞かれるこれらの項目。原稿はできている。しかし、今ほど文章を簡潔に話せなかった私は、緊張も相まってうまく言葉が続かない。順序よく話すことも、要点を簡潔に話すこともできなかった。

面接の時間、自分がどのように過ごしていたのか、試験監督からはどのように見えていたのかはわからない。それを気にする余裕がないほどに焦りも感じていた。なんとか話し終え、最後の逆質問に入る。特にありません、はご法度だと聞いていたので、面接先のパンフレットに載っていた海外研修について質問した。試験監督たちはなぜかポカンとしていて、不思議だった。答えも曖昧なものだったが、とりあえず質問ができたことを良しとして面接を終えた。

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手応えは正直ない。それでも、大きな組織であったため、募集人数も多く、私1人くらい引っかかってくれることを願って会場を後にした。大体1社か2社くらい受けると就職先が決まると言われていた世界。学校の成績は十分取っていたので、受かる可能性はあるだろうと思った。

自宅に就職試験の結果が入った封筒が届き、ドキドキしながら開封する。
書いてあった結果は不合格。

就職試験の結果なので、親も近くにいた。この結果を伝えた時、思っても見なかった結果だとあっけにとられる親。
まさかこいつが落ちるなんて、そんなことを言いたそうな顔だった。
私も私で、面接のできの悪さを棚に上げて期待していた結果であったため、ショックは大きかった。正直決まると思っていた就職先。次の就職先をどうやって探そうと思ったくらいだ。

思い返せば面接の日、受け答えはしどろもどろ。緊張で唇が震え、全身がガクガクと震えていた。聞かれた問題にも、まっすぐ答えようとして斜めに突っ走っていたのかもしれない。学校やセミナーで行う面接練習へは参加していなかった。他者からの評価がなく、自己流の対策だけを信じて就職試験に挑んだのが間違いだったのだろう。

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不合格通知を受け取ってからの私は、かなりの後悔と恥ずかしさに苛まれた。大して頑張ったわけではない、それが故に失敗しているため、ただの恥晒しである。中途半端に頑張って、中途半端に開き直った。努力したとは言えない頑張りで恥をかいた日。失敗を強く恐れる私にとって、誰にも姿を見せられないと殻にこもりたくなった。

ただでさえ不合格という文字を隠したいのだが、親にも見せなければいけないという現実、親が結果を知ってしまったという事実がさらに最悪だと感じた。

私史上最悪な日。それは、中途半端な頑張りが招いた、就職試験の不合格通知を受け取った日。