私の今を作り上げたのは、とあるひとつの夢があったからである。

◎          ◎

始まりは小学校へ上がる前。テレビを見ていたときのこと。
手術着を着た医師が、手術室を出て白衣を羽織った。この瞬間私は、医師という職業にひとめぼれをした。医学に興味を持ち、医師になりたいという夢ができたのだ。

その後、家族で話しているとき、お前は将来何になりたいか、という話になった。
医師になりたいと伝えると、家族は大いに期待するような反応をした。続けて、医師になるためには、偏差値の高い高校に進み、医学部という学部のある大学に進学する必要があると説明された。

◎          ◎

未就学児の私には、イメージなどできない。ただ単語として高校や大学の名前を聞いていただけだった。しかし、自分の進むべき道が照らされたようでもあった。このときから私は漠然と、言われた高校に進学し、医師になることが決まっていたように思う。
小学校に入って、将来の夢を書く機会がある。6年生の卒業文集まで一貫して、医師になるという夢を書き続けた。

勉強ももちろん高得点を取れるように頑張った。といっても、自分が恥ずかしくない点数かつ親に怒られないために。学校の勉強にはついていけて、テストもそれなりに点数が取れていたため、周りからは賢い子どもとして認識されていた。
中学に入って勉強が難しくなったが、途中から入った学習塾のお陰でキャッチアップができた。受験を視野にいれて勉強に取り組んでいたため、理解してできるようになるまで取り組んだ。

高校受験の当事者となった中学3年生。受験勉強と自習で、中学生ながら夜遅くまで塾に通っていた私。唯一の楽しみであり、モチベーションを保てたのが、当時放送されていた医療ドラマである。私はこういう、いろんな病気を治せる医師になりたい。白衣を着たい。スクラブを着て颯爽歩きたい。と思いながら見ていた。

◎          ◎

努力の甲斐あって、見事第一志望の高校に合格。

高校の勉強は、中学までの勉強とはかけ離れたレベルだった。
頑張って理解しようとしても点数にはつながらず、どうしても点数が取れない。医学部への道も諦めざるを得なかった。

医学部へ進学はしなかったが、高校までは自分が進むと信じた道を歩むことができた。医師になるために勉強するのは当たり前。自分は医師になると呪文のように言い聞かせた子ども時代を過ごした。

医師になるという夢がなければ、ここまでしっかり勉強しようと思わなかっただろう。今となっては、基礎の学力が付けられたこと、勉強を頑張る理由が見つけられたことは財産だ。大学の勉強を頑張るきっかけになったのも、医師になるという夢があったからである。高校で勉強できなかった私だからこそ、大学での勉強は頑張ろうと思えた。

◎          ◎

子供のころの将来の夢は、途中で変わっていくものだと思っていた。そのうち本当になりたいものが見つかると思っていたが、大人になるまで変わることはなかった。ずっと頑張る目標としていてくれた夢は、今の私を作り上げている。
勉強や学ぶことへの興味を持たせてくれ、新しい知識をインプットできるのはとても楽しいことだとも思わせてくれた。

大人になっても、勉強は必要だ。学ぶことや方法は変わっても、絶えず新しい知識を入れていかなければ仕事はできない。勉強すること、努力すること、いずれも子供のころに向き合ってこなかったらロクな社会人にはなっていなかっただろう。
学ぶことにおいてマイナスなイメージがあると、仕事も最低限しか学ばない。消極的になり、仕事ができないと落ち込む。それは悔しくないだろうか。もっと勉強していれば、と後悔しかねない。

私も、高校の勉強をもっと理解できていたら、本当に医師になっていたかもしれない。そう思う日もあったけれど、後悔はしないことにした。

小学校に入る前、医師の背中と、医師という職業にひとめぼれをした私。
子どものころの夢を叶えることはできなかったけれど、勉強することの楽しさや、自分の興味は医学にあると再認識できた。それだけでも大きな収穫だと思える。

あの夢があったから、私は今日までの道を歩むことができたのだ。