前の晩に設定していたつもりの目覚ましをかけ忘れて寝坊し、乗るはずだった電車に乗りそびれるような、朝のスタートダッシュに蹴つまずく日。

これは誰もが一度は経験する「最悪な一日」の幕開けだろう。

その上「最悪な一日」というものは上書きされ、記憶が新しいものが「私史上最悪な一日」のワーストランキング1位として更新されていく。

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直近であった「私史上最悪な一日」は、“女の子の日”に経血漏れの気持ち悪さで起床して、半泣きしながら汚れた敷きマットと下着を洗い......。

なんとか気持ちを上げるために食べた朝ごはんの食器をシンクに持っていこうとした際、横着をしたがゆえにお皿を2枚割ってしまい......。

お皿の破片を泣きながら片すという、フルコンボな幕開けからスタートした日が記憶に新しい。ちなみにその日の午後の記憶はない。

そういう時は心に余裕がないから、イライラしてシクシクしてしまう私。
そんな私が「今日は最悪な一日になりそうだ」と察した時に呟くようにしているおまじないがある。それは「It's not my day!(ついてない!)」。

この言葉はどこで見かけたのか、ハタチすぎた辺りからおまじないとして心に留めていた。そして、気心知れている人といる時にそんなついてないことが起こると、街中だろうが「It's not my day!」と、駄々っ子のように口に出すことで気持ちを整理させたりする。

そんな大胆なことをしてしまうからなのか、よく帰国子女と間違われるが、海外へは大学のゼミ合宿で香港に1度しか行ったことはない。

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余談で逸れたが、このおまじないを直訳すると、「今日は“私の日”じゃない!」といったところだろう。あくまで「今日」が最悪な日だっただけだ、と自分に言い聞かせるにはうってつけの言葉。
しかし、厄介なことにイライラしてシクシクしてしまうような出来事は案外引きずってしまう私。

以前、かかりつけのメンタルクリニックの主治医からも「イヤだった出来事とかふとした時に思い出しちゃうことない?」と図星を突かれた。

イヤだった出来事を思い出してしまった時のストレスほど厄介なものはない。なぜなら抜いても生えてくる雑草くらい根深いからだ。
その時に最近私が編み出したおまじないがある。それは「帳尻が合う」。

積もり積もると悲劇のヒロインぶってしまう私は「若いのになんでこんなに色々と苦労しなきゃいけないんだ!」とずっと思っていた。
列挙するなら、19歳の時に父が亡くなったり、ハタチの時に母が手術したり、新卒の会社で適応障害になったりと、ハタチ前後でだいぶ心を亡くしてしまうような出来事が次々と起こった。

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しかし、それらの苦労をハタチ前後で乗り越えた甲斐があってか、最近は「喫茶店に行ったり、ゴルフをしている時が至福のひととき」と、中年男性のような小さな幸せを味わい、楽しもうとしている。

きっと一生のうちで体験する「バラエティ豊かな苦労」は皆平等に与えられている。それが前半に偏っているのか、後半に偏っているのか、一生を通して散りばめられているのかが、人によって違うだけなのではないだろうか。
お弁当の中で好きなおかずをどのタイミングで食べるかの選択にも似たようなところがある。

だから「最悪な一日」に直面しても、それは「It's not my day!(ついてない!)」なだけだったわけで。
きっと一生を通して「帳尻が合う」んだろうなと確信できるようになった私は、以前の私より、イライラ・シクシクしなくなったのではないかと思う。

この2つのおまじないが頭の片隅に残っていれば、「私史上最悪の一日」が上書きされてしまった時に唱えて乗り切れるのではないだろうか。未来の自分がイライラ・シクシクする前に、心に余裕がある今のうちにここに書き留めておく。