以前「2023私の宣言」というテーマのエッセイでも触れたのだが、大学生の時の私には一つの夢があった。それは、「優秀な卒業論文を書いた学生だけが呼ばれる学内のイベント、『卒論発表会』に出てやる!」というもの。その夢を目指して一年間、執筆作業に勤しんでいたのだが、残念ながら夢のまま終わってしまった。

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私にとって、卒論は大学生活で最も力を入れていたもの。前述の夢は4年間の学びの集大成として、絶対に叶えたい夢でもあった。

「テーマの決め方が浅いし、狭いんじゃない?」
大学3年生の秋、卒論ゼミの指導教授に言われた言葉は、今でも覚えている。私は元々、文章を書くのも、自分の好きな何かの魅力を分かりやすくまとめて誰かに伝えるのも好きだった。そのため、大学生になってからもゼミ発表は毎回それなりに楽しくやっていたので、「卒論も何だかんだ楽しく簡単に終わるよね?」と甘く見ていたのだろう。その甘さを見透かされて、私は自分の思い上がりを恥じた。

当時の私は、ある一人の画家の生涯における作風変化をテーマに卒論を書こうと思っていた。自分では結構良いテーマだと思っていたのに、まさかのしょっぱなからのダメ出し。

「最初はこんな絵でした、次にこの作風に変わりました、最終的にこんな画風に落ち着きました、はい終わり。それを書いただけだったらつまらないと思わない?」
「この画家も一人で絵を描いていたわけではないでしょう。同じ時代に生きた他の画家との交流、先人たちから受けた影響、当時の社会状況。そういうのを全部ひっくるめて、この画家という存在が生まれたんでしょう?」
「もっと広く深く、歴史そのものを俯瞰的に捉えた上でこの画家の存在を見つめ直しなさい!」

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一語一句そのままではないが、教授からは大体こんな感じのことを言われた。挙句の果てに、「作風変化はやめない?」「この画家が好きなら、これこれこういう問題提起で書くのはどう?この画家でこのテーマ、まだ誰も書いたことないから!先行研究も全くと言っていいほど存在しないから!」とキラキラした顔と声で迫られた。

もちろん、「いやいやちょっと待って!学部学生にそんなレベル求めても困るから!」と心の中で盛大な悲鳴を上げた。

そんな私が、「卒論ちゃんと頑張りたい!」モードになったのは、3年生の終わり頃に、一つ上の学年の卒論発表会を聞きに行った時のこと。自分の研究テーマについてはきはきと語る先輩方を見て、「かっこいい!私も1年後絶対にこの舞台に立ってやる!」と一気にスイッチが入った。
かといって、その日からいきなり卒論をバリバリ書けるようになったわけではなくて。

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先ほど述べた通り、教授から勧められたテーマは先行研究がほぼ存在しなかった。日々、件の画家と同じ時代を生きた画家たちの画集、当時の社会状況を描いた歴史書など膨大な数の参考文献とにらめっこ。「これって良い切り出し口なんじゃない?」「これとあれって、繋がるんじゃない?」と、一つずつ盤上の石を動かすように卒論を進めていた。

ここまで読んでくれた方は、「この人、就活はちゃんとしてたの?」と心配になったかもしれないが、ご心配なく。就活もちゃんとやっていた。というか、件の指導教授が「卒論と就活は両立できます!(※ゴシック体、赤字)」みたいな価値観の持ち主だったので、「大4の春夏」という求人が1番出ている期間も、バンバン課題を出されては図書館に缶詰していた。「明日面接だから、今はこの課題よりも面接練習をしたいのに…」と、ほとんど泣きながらPCと向き合っていた日もざらにあったし、不安に押しつぶされそうで購買部のパンをやけ食いした日もあった。「このゼミやめとけばよかった」と思った回数は、両手の指ではとても足りない。

そんな時に自分にスイッチを入れ直すのは、いつだって「卒論発表会に出る」という目標!夏に就活が無事に終わると心の余裕も生まれて、それまでより筆の進みも順調になった。そしてある冬の日、私は無事に完成した卒論を提出したのである。
残念ながら夢の卒論発表会のメンバーには選出されず、その日はかなり落ち込んだ。

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そんな私に思いがけないプレゼントが贈られたのは、教授含め卒論ゼミのメンバーと打ち上げ会をした後のこと。
皆で撮った写真を添付し、「今まで本当にありがとうございました」という旨のメールを教授に送ったら、こんな返信が返ってきたのだ。

「実はあなたにはプレゼントがあります」
「私が推薦して、学年で10本ほど選ばれる優秀卒論の1本として、大学の研究室に遺されることになりました」
メールを読むなり、びっくりした。優秀論文の存在は知っていたけれど、発表会に出ていた卒論の中でも更に選別された卒論が選ばれるような、そういう雲の上の存在だと思っていたから。

発表会の夢は、残念ながら叶わなかった。
でも、夢の実現を目指して1年間頑張っていたら、代わりに思いがけないプレゼントが手に入った!
興奮冷めやらず、私は手の中のスマホをぎゅっと抱きしめた。
今は「あのゼミやめとけばよかった」なんて、もう1ナノメートルさえも思わない。ありがとう、先生!

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今回のことで学んだのは、「夢の実現を目指して努力することは大事」、そして「正しく努力できていれば、その夢が叶わなくても同じくらい価値のある別の何かを手に入れられる」ということだ。

この春社会人になった私は、仕事に関する目標を既にいくつか定めている。今はその日その日に習うことを覚えることで精一杯だけれど、その日暮らしになることなく、目的意識は常に忘れないように心がけたい。もしその目標が一つも叶わなかったとしても、きっと同じくらい素敵な何かが自分の財産になるだろう。

そんな未来を心から信じて、今日も私は職場へ向かう。お守り代わりに手帳に入れているのは、1年間を共に駆け抜けてくれた、卒論テーマのあの画家のポストカードである。