先日電車に乗っていた時のこと。とある駅で、高校生が大量に乗ってきた。見覚えのある制服、見覚えのある駅のホーム。そうだ、この見慣れたホーム。ここはあの日、忘れもしない2016年の1月25日、高校時代に部活の試合の帰りに好きな人と一緒に帰った思い出の駅だった。
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私が高校一年だったのは、もう8年も前のことになる。私には当時好きだった一色君という男の子がいた。同じテニス部にまで追いかけ、マネージャーと部員という関係にまでなった。だけど、私と彼はいつもすれ違ってばかりで、お互い目を見て話す勇気なんて持ち合わせていなかった。彼がこっちを見たら私はわざと違う方向をみて、意識していないような演技をすることで忙しい毎日だった。
ある日、一年生だけの試合があった。
その日は肌に触れる空気が寒いを通り越して痛かったのを鮮明に覚えている。だけど、団体戦ならではの団結した空気感や、先輩のいない一年生だけの緊張感のほぐれた試合に、自分も一年のマネージャーとして参加できたことが何よりもうれしかった。
閑散とした空気の中、顧問が今日の試合のトーナメントを発表していく。誰がシングルスで出るか、誰と誰がダブルスを組むか。みんなが持ち場について、自分の番が来るまでアップをしに行く。その光景が、今この青春の一日を少しも無駄にしていないと感じさせてくれた。
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高校生になって、彼氏なんてすぐにできるものだと思ったけれど、案外世界は甘くないのだった。好きな人はいるけれど、好きと言ってしまったら終わってしまう気がして、ずっとそれが言えないまま今の関係を続ける。部員とマネージャーという関係になれたからには、この特権を生かしたいけれど、私にはその度胸もない。いったいなんでマネージャーにまでなって追いかけてしまったんだろう。本当はこんな寒い土曜日、好きな人とデートがしたい。だけど、私にはそれが叶わないまま高校生活が終わる虚しさをすでに感じていた。
そんなことを考えていると、一色君がシングルスの試合のためにコートに入った。隣のコートでは、さっきからダブルスの試合が長引いている。そっちが勝つのが先か、一色君が勝つのが先か。吐く息が白い。選手の荒々しい息遣いだけがコートに響く。それくらい閑散とした空気だった。
タイブレークで粘って一時間以上続いたダブルスの試合は、結果負けに終わってしまった。あとは一色君次第だ。彼が勝てば優勝、彼が負ければ準優勝。私にとっては、どちらでもよかった。こうしてみんなで団結できた一日はかけがえのないもので、もう既に十分なほどの思い出をもらっている。だけど、心のどこかで一色君が勝ってくれることをずっとずっと願っていた。
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「がんばって」
「ん」
私の蚊の鳴くような小さな声にも、君はちゃんと返事をくれたっけ。
フェンスにしがみつきながら彼の試合を見守った。一色君は強い。相手の子も強い。だけど、タイブレークまで粘ることができるのはさすがだと思った。
どれくらい時がたったのだろう、一色君が鋭いサーブを打った。相手はそれを打ち返すことができず、最後の最後でサービスエースで一色君が勝利した。その瞬間、彼の手のひらからラケットが零れ落ち、そのまま仰向けに倒れこんだ。
「勝った…」
その時の会場の空気感は、今でも脳裏に焼き付いている。どんな幸せなデートよりも、どんなおいしいディナーよりも、今この時間、この瞬間を共にできること、好きな人が頑張っている姿が見られることが何よりも幸せだった。
アドレナリンが出た選手たちは、みんなで勝利をかみしめた。その中心にいる一色君は、今までに見たことがない笑顔を見せていた。
◎ ◎
「駅まで帰る組ー?」
帰り際、一色君の呼びかけに、誰もが反応しなかった。みんな、自転車やバスで来たという。ってことは、駅まで一緒に行くのは私と一色君だけだ。
人生初めての二人きりになれるチャンス。私は堂々と、着いて行った。
駅までの道のりは永遠に続いてほしかったし、夕日の陰でできる私たちの身長差に胸が高鳴った。
「勝ってよかったね」
「だな」
君は、自分の力を自慢しないとても謙虚な人だった。次の電車は、あと十分後だった。誰もいないホームで、二人ベンチに腰掛ける。
今この瞬間が永遠に続いてほしくて、だけど逃げ出したくて、思わず通過列車なのに立ち上がってしまった。
「通過列車やで、それ」
君が言うその声は優しくて、そしてあと10分も君と隣に入れることがうれしかった。
そんな思い出の駅を八年ぶりに通過し、私は当時の記憶を一斉に思い出した。彼が今どこで何をしているのかもわからない。だけど確かにそこには、私たちが最強のデートをした証拠の思い出のベンチがあった。