「人生、死ぬまでの暇つぶし」
幸か不幸か、30歳を目前に控えた初夏、私はとある名言が表す、人生の真髄について理解した。
大好きなライターの仕事にちょっぴり行き詰まりを感じた、社会人6年目。27歳の春だった。お付き合いして半年の彼と結婚を決めた。その冬には妊娠し、出産を経て29歳、育休を取得している私が1日に行う業務は、家事と育児だ。
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独身時代は、毎日華やかだった。平日は仕事が終わると、同僚と飲み会を開くか、ヨガ教室でレッスンを受けるか、娯楽に費やした。週末になれば、朝からカフェで読書や資格の勉強に専念し、昼になると電車で1時間ほどかけて都会へ出かけ、ショッピングしたり、友達とカフェで話題のスイーツを食べたり…。その足で、別の友達や仕事関係の人との食事会に参加した。時にはバーやクラブ、音楽イベントにも出かけ、夜が明けるまで遊び倒した。
充実していた。いや、本当は充実した自分を演出したかっただけかもしれない。家族もいなければ、彼氏もいない。身軽で自由なおひとり様人生を肯定しようと、当時は必死だった。
そうでもしなければ、時折襲ってくる喪失感に勝てなかったから。24時間365日、私だけのもの。ひとりの時間は心を豊かにしてくれたが、どんなに予定を詰め込んでも、暇を持て余した。言い換えれば、私が何もしなくても、いなくても、誰も困らないのだ。孤独にさいなまれた。誰かのために時間を使い、必要とされている人生を歩みたい。いつからか、そう思うようになった。
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共同生活は、想像以上に忙しかった。結婚後は早朝、起きてキッチンに立ち、旦那の3食分を用意する。掃除、洗濯を済ませて仕事に出て、帰り道に翌日の献立を考えながら買い出しをする。毎日、あっという間に過ぎていった。私は誰かの人生の一端を担っている。新鮮で、今までに感じたことのない幸福感で満たされた。
半年がたったころ、ふつふつと違和感が生まれてきた。幸せなはずなのに、気付けば心が疲れている。人のために時間と体力を費やすあまり、自分を労われなかった。子どもが生まれると、寝食する時間すらろくに取れず、日々をこなすだけで精一杯だった。次第に、今までより1時間早く起きて、趣味の読書や運動をするようになった。
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生後8か月の娘が保育園に通い始めた先月からは、気が張っているのもあってか、自然とさらに早い時間に目が覚めるようになり、通園時間も伸びてきた。作ってみたい料理のレシピを検索したり、ネットショッピングしたりする余裕なんかもできた。やっぱり、自分の時間はなくてはならない。
だけど、ありすぎても心が病むと改めて痛感した。再びおひとり様時間をたっぷり手にした私は毎日、何をしようか、探している。「朝食用に、旦那が好きなパンを買いに行こう」「子どもの洋服をそろえないと」。結局、人のためにできることを考え、用をつくっては空白の時間を埋めている。十分、やりたいことができているからなのか、もしくは自分が何をしているのが好きで、楽しいと感じるか、忘れてしまったのか。もっとやりたいことはあったはずなのに。
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偶然、SNSで見つけた名言が答えをくれた。人生において、やらなければいけないことなんて一つもないのだ。人のためにも、自分のためにも。すべては日常を彩るための暇つぶしでしかない。そう思っていた方が、気楽に生きられる。
確かに言えることは、家族のために投資する時間が私に存在価値を与え、人生の意義を見出してくれている。夏には、仕事復帰を予定している。家族以外に、私の時間を消費する対象が増える。再び、自分の時間がほしいと思うだろう。でも、忙しいのは幸せの証。喜んで誰かのために使おうと、前向きに捉えられる気がする。