私の初めての一目惚れ。それは桜島だった。そう、鹿児島にある、あの桜島。年に200回くらい噴火する、あの桜島だ。

エネルギーに満ちていて、岩肌が剥き出しの部分がたまらない。

言葉にならないほど、とにかく惹きつけられた。

胸が高鳴って、見ているだけで溶けてしまうような。そんな気持ちになったのは、本当に人生で初めてだった。ジャニーズなどのアイドル、アニメのキャラクターを好きになる人は、きっとこんな気持ちなのだろう。

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「推し活」が盛り上がってきている昨今。正直そこまで特定の人物やモノを好きになる気持ち、そこまで熱中する気持ちが今までは全然分からなかった。

見るだけでわくわくしたり、考えるだけで楽しい気持ちになる対象...今までの人生で全く思い当たらない。

学生時代によくある「どの芸能人が好きか」という話題も、全く思いつかない。こういう顔の方が好みというのはあっても、別にその顔を見たからと言って気持ちが高まるかと言われれば全くそんなことはない。

私は歌を長く習っていたが、それは先生に誘われたから習っただけ。別に音楽はどちらかというと苦手だし、確かに歌っている時は気持ちいいけれど、他のレッスン生のようにレッスン以外の時も鼻歌を歌わずには居られなかったり、音楽を聴くのが楽しいと思ったこともほとんどなかった。

周りの子と何かが違う感じがするけど、何が違うのかわからない。
何にものめり込めないことが嫌だったし、私もそういう熱中できるものが欲しかった。

仕事もそうだ。好きを仕事にすることが良いことだという一種の宗教のような、熱気のような、そういう時代の雰囲気を感じていたが、私は好きなものがそもそもないので、何をしたいか本当に分からなかった。

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でも、そんな自分が変わろうとしている。

桜島の他にも、ベリーダンスを始めてみたいと思ったり、ファッションも自分の好きなボディパーツが素敵に見えるような服に変えてみたり。
そういうものがあるだけで、一気に生活が鮮やかになる。

好きという感情をよりビビットに感じることができるようになった今、人の心には、確かに好きなものを感じるためのセンサーみたいなものが存在するような実感がある。

では、どうしてそのセンサーがONになったのか。

正直自分でははっきりわからないが、もしヒントがあるとすれば、もしかしたら世界には好きなモノとか楽しいことがあるのかもしれない、いや絶対にあるはずだと信じることだと思う。

今までの私は、好きになれるものを探してはいたものの、どこか諦めの気持ちがあって「絶対に私の心を動かすものがもっとあるはずだ」と信じてはいなかったような気がする。

でも、世界ってそんなに悪いものでもない、好きになれるものがもしかしたらあるかもしれないと、思えるようになったのだ。

その上で、センサーがまだ鈍っている最初の頃は「なんかいいな」くらいに、ほんとうに些細な気持ちに気づいて、すくいあげて、集めていくこと。
それを繰り返していると、自分との信頼関係ができて、世界に素敵なものがあるようにもっと信じられるようになってきたのだ。

何かをものすごく好きになれる、わくわくできることは、人生を楽しく生きる上でかなり重要なスキルなのではないか、と思う。
「わくわくするこころの筋力」みたいなもので、きっと鍛えていくと、もっともっと楽しいものが増えていくのではないだろうか。
きっとそうやって、センサーは磨かれていくのだ。

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世界は喜び、美しいものに溢れていると信じること。
その延長に、「一目惚れ」という現象がある気がする。
それは、センサーの感度をあげていった先に出会える、かなり洗練された感覚・能力ではないか。

年を取れば取るほど、そのセンサーは磨かれるように思うし、時間があればあるほど、沢山宝物が集まってくる。

だからこそ年齢を重ねることは素敵なことだと思う。
好きなものに囲まれる人生は、それだけでとてもたのしい。