私が年甲斐もなく、人前で泣いた1日があります。友達3人とタイ旅行したある日にそれが起こりました。私は昭和史が専門で特に第二次世界大戦に興味があり、タイに行ったらぜひ訪れてみたい場所がありました。1日だけ私が行きたい場所に行こうと提案したところ、案の定友人には「一人で行ってきて」と言われてしまい、カンチャナブリというところまで一人で行くことに決めました。目的地はクウェー川鉄橋駅と周辺にある戦争に関する博物館。本当はさらに2時間ほど先にあるタムクラセー駅の桟橋まで行きたかったのですが、その日の夜はシーフードをみんなで食べに行こうと決めていたので夕方までにバンコクに戻れるクウェー川鉄橋駅を目的地にすることにしました。

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9月4日の朝、7時にUberで呼んでおいたタクシーに乗りました。大きな虹に見送られ、予定時間通りに出発駅であるトンブリー駅に着きました。乗車券を買い、周辺の屋台から朝食を調達して、箱型の空いている座席に座りました。定刻から少し遅れて列車はトンブリー駅を出発しました。暖かい国ならではの大きな葉っぱを持つ木々がたくさん見える車窓を楽しみながら列車はどんどんバンコクを離れていきます。車内アナウンスはタイ語で放送されていたので、私が自分の降りる駅を知るためにはGoogle Mapで自分の位置を把握しながら、降車予定駅との距離を測る必要がありました。降車予定のクウェー川鉄橋駅はクウェー川を渡ったところにあり、10時42分に到着予定でした。

10時30分が過ぎ、Google Map上で私の位置情報を示す青いマークとクウェー川鉄橋駅が近づいていきます。あとは川を越えるだけというとき、列車が止まりました。駅舎や駅の表示は見当たらず、なんだろうと思っていると、多くのお客さんが乗ってきました。クウェー川鉄橋駅は第二次世界大戦中、旧日本軍が敷設した泰緬鉄道が通る橋があることで有名な駅で、列車が走っていない時間は徒歩で橋の上を歩くことができます。そんなことから、きっと橋の前で人を乗せ、橋を渡り、渡ったところにあるクウェー川鉄橋駅でもう一度停車して人を降ろすのだろうと予想し、席に座ったまま雄大に流れるクウェー川を眺めていました。しかし、列車は橋を渡り終え、そこにあった「クウェー川鉄橋駅」の看板を過ぎても停まる気配はありません。それどころか、加速しているような気さえします。

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Google Mapを何度リフレッシュしても私の位置を示す青いマークはクウェー川鉄橋駅からどんどん離れていきます。かなり焦りました。でもMapで行く先をなぞると少し走ったところに駅がありました。そこで降りて1駅分の運賃を支払い、Uberでタクシーをつかまえ戻れば、たいしたロスにはならないだろうと自分を落ちつけました。しかし、その駅に近づいても列車は減速する様子を見せず、あっという間に通過してしまいました。あわあわしているうちにGoogle Map上の次の駅も飛ばし、しばらく停まる様子を見せません。

そうこうしているうちに駅員さんが切符の確認に来ました。悪気はなかったものの、不正乗車をしているわけです。捕まって牢屋に放り込まれ、日本大使館の邦人保護係の方に迷惑をかける未来が見えてしまい、その時点で年甲斐もなく涙がこぼれました。駅員さんが切符を出せと私の顔の前に手を出し、私は差し出しました。駅員さんはなにか言っていますが、タイ語でよく分かりませんでした。泣き顔で座る外国人に戸惑っている様子で、周囲の人になにか話しています。おそらく英語が分かるひとを募ってくれたのだろうと思います。

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近くに座っていた女性が立ち上がり、私の隣に座りました。女性が、クウェー川鉄橋駅はもう過ぎていること、間の駅で降ろすことは可能だが、折り返しの列車は大きい駅にしか停まらないため一番早く出発したトンブリー駅に戻るためにはこの列車に乗り続け、次のタムクラセー駅で折り返しを待った方が良いこと、そして最後に、クウェー川鉄橋駅に行きたかったなら戦争に興味があるんでしょ?それならタムクラセー駅も楽しめるはずだということを言い添えてくれました。

「コップンカー」と何度もお礼を言い、安心してさらにボロボロ泣いてしまいました。駅は時間通りにタムクラセー駅に着き、列車を降りたところで女性が折り返しの列車が何時にくるのかを改めて教えてくれました。思いがけず、本当は行きたかったアルヒル桟橋を歩き、クラセー洞窟を見学することができました。運が味方したのはここまでで、その後は豪雨に見舞われ、帰りもうまく事が運ばず、バンコクで友人と合流できたのは23時過ぎでした。シーフードも食べられず、どろどろのへとへとになってホテルに戻りました。優しいタイ人に助けられ、タイをさらに好きになれる出来事でしたが、今これまでを振り返ってもあんなに踏んだり蹴ったりだったのはこの思い出だけです。