湿気の少ないからっとした空気と太陽の日差しは嫌いではない。けど、なんとなく夏のことは好きになれない。外に出るだけで体力をいつも以上に使うからだろうか。紫外線が気になって何度も日焼け止めを塗るからだろうか。化粧崩れも気になるし、ずっと隠していた体形も隠し通すことができなくなる。夏が苦手な理由はいくらでも出てくる。一つひとつにアプローチして問題解決をしようとも思わない。私は夏が苦手な人間。そうやって生きていこうとは思っている。ただ、今年の夏は少し意識を変えたい。

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少し話がそれてしまうが、私は今絶賛体調不良中だ。持病が悪化し、仕事にいくのも精一杯である。今度の通院のときに何を言われるのか心配で仕方がない。ただ、それでもなんとか生活して今この文章を書いている。持病が悪化したきっかけは何となくわかっており、それ自体はもう解決に向かっている。だから自分の体調も戻っていってくれると信じていた。けれど、自分の体は自分が思ったよりもコントロールするのが難しかったようだ。

そんなときに私が縋るのは、やっぱり文字なのだ。
自分の思いを文字にすることでなんとか自分を保つことができる。ここには自分がしっかりと存在している。多少辛いこともあるが、関係ない。辛いや苦しいもすべてひっくるめて私は文章を書き続けるのだろう。

さて、そこで本題だが「苦手な夏」を私は今回、「物語のような夏」に変えたいと思う。というのも、気づいたら今年の夏は20代最後の夏のようだ。齢の取り方を忘れました!なんて周りに言っている私だが、ほんの少しだけ意識をするようになった。そして、今年は久しぶりに恋人のいない夏でもある。このこともいつか文章にしたいのだが、ついこの間10年近く付き合っていた恋人としっかりとお別れをした。ずっと疎遠だったから、別れに特別な感情は抱かなかったが、確かに私の大切な物語の一部になったから、いつかこの場所で文章を綴ろうと思う。ということで、今年の夏は「物語のような夏」を目指すことにする。

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そのためには何をしようか。仕事はいつも通りすぎるから、休みの日の過ごし方を変えてみよう。旅行もいいだろう、水着を着るには勇気が足りないから浴衣を着てもいいだろう。やろうとして、ずっとやってこなかったことをしてもいい。一方で、まるで地球最後の日のようにいつもと変わらず、なんの変貌もない日々を過ごしたっていい。そこに、日差しの強い太陽と、白い雲、そして日本酒なんかがあったら最高だ。

要は、私がこの夏のことをこうやって文字に起こせばそれだけで物語のような夏のできあがりなのだ。けど、これを意識しながら過ごすか過ごさないかで、きっと日常の見え方が変わってくる。いつか物語にすると思いながら過ごしていれば、世の中のことは大抵面白く感じるし、夏のじめっとした暑さや、ぬぐっても絶えない汗も不快と思いつつ面白いと思うだろう。そういうことなのだ。

だから私は、「苦手な夏」を20代最後の年にして「物語のような夏」に変えて、ほんの少し楽しむつもりでいる。それが私の夏の作戦だ。どうかこの作戦が成功するよう願ってほしい。