お店の光と、車のライトが規則正しく、そして賑やかに並ぶ夜に、彼は赤くぼんやり光るクリーニング屋さんを指差した。
「あのクリーニング屋の上、7階が俺の部屋なんだけど、そこでUber eatsでも頼む?」
「あ、いや、家はちょっと……。あたし、今から電話して空いてるお店探すね!」

重苦しい数秒の沈黙に耐えられず、「とりあえずこの辺りをドライブしていよう」と早口で付け加えると、私はすぐさまバッグからスマートフォンを取り出し、近くにあるお店を検索し始めた。
実際は「流石にぎこちなかっただろうか?」「彼を傷つけてないだろうか?」という不安が頭の中を占めて、お店探しどころではなかったのだけれど。

だって、私達はこうして何度か彼の車でお出かけをしているが、付き合っているわけではない。
だから、彼のお部屋にお邪魔するわけにはいかない、まだ。

まだ?
もし、彼のほうから「付き合ってほしい」と告白をされたら、私は彼と付き合うだろうか?
分からない。でも、告白の仕方によっては「うん」と返事をしてしまうかもしれない。それくらい居心地が良い。

◎          ◎

最近、彼は実家から譲り受けた軽自動車から黒のスポーツカーに買い替えた。最初の助手席をいただいた私は、運転席の彼をチラリと盗み見て、いつもと変わらぬ優しげな横顔にほっと胸を撫で下ろす。

彼が住んでいる街は、私の会社から徒歩15分ほどのところにあるが、あまり来る機会が無かった。
こうして見ると飲食店やマンションも多く、なかなか栄えている。

「でもさ、私達ちょっと喋り過ぎちゃったよね」
時刻は午後8時30分。
大きなショッピングモールの中にある映画館で、彼と映画を観た後、少し話し過ぎてしまった。
「映画を観る前に早めの夜ご飯食べとけば良かったかな、私が大丈夫とか言っちゃったからだね。ごめんね……」

◎          ◎

新型コロナウイルスの感染拡大で、多くの飲食店が午後8時までの時短営業で、この時間は閉まっているか、テイクアウトのみの営業に切り替わっていた。それでも中心部では通常営業しているお店も散見されるのだが、この街の飲食店は電話するまでもなく、どこも難しいだろう。

車がまた大通りを走る。少し混んでいた。
やっぱり少し戻ってもらって、彼の家でUber eatsを頼むべきだろうか。
さっきから知らない洋楽R&Bが流れる車内で、私ばかりが喋っている。彼が食いつきそうな話題を振りたいところだが、私は海外旅行にも洋楽にも、洋画にも興味が無い。彼が生まれ育った関東の街のことも知らないし、今ドライブをしているこの街のことにも詳しくない。

ただ、妙に綺麗だ。
街の真ん中に真っ直ぐ伸びる大通りがあって、大通り沿いにお店が並び、今、車も混んでいるからかもしれない。赤い光の車は、各々の家に帰るのだろうか。もう夜ご飯は食べただろうな。

私も、あの赤く光るクリーニング屋さんの上の……。いや、やっぱり夜ご飯は食べずに私も帰ろうかな。別にお腹は空いていないのだ。
ただこのまま帰りたくなくて、お腹が空いたとかなんとか言って、夜ご飯も一緒に食べようとしているだけなのだ。
それに付き合ってくれる優しい彼は、なんだか口数が減ってるけど……。

結局、私達は隣の街の居酒屋で、お酒は飲まずソフトドリンクをお供に夜ご飯を食べた。
私の行きつけのこのお店は、時短営業をしていない。
いつもと変わらず楽しく談笑した後に、またコロナが落ち着いたらお酒を飲みに来ようねと話して私達はバイバイをした。

◎          ◎

その約束は叶わず、彼とはあの日から会っていない。
私の忘れられない街は、あの夜のあの街だ。
昼間にあの街に仕事で行くことも増え、現在、飲食店も開拓中である。
遠出の帰路、夜のあの街を通ることもある。

ただ、あの車内に流れていた全く知らない洋楽R&Bのせいなのか、あの夜と同じ街を通っている気がしない。
あの妙な綺麗さを私は苦々しく感じながらも、今でも忘れられない。
今、彼の助手席でその優しげな横顔を眺める人はいるのだろうか。
昨日、友達が始めたマッチングアプリの画面で、彼のことを見つけた。