「医学部なら安泰だね」
「今は遠距離だからなつめちゃんがむこうにいくの?」
「2年半も付き合ってるならもう安泰だね」
「6年制大学だと先が長くて待ち遠しいね」

その言葉を口にはしないが、みんな私と彼が数年後には結婚すると思って喜んでいる。なんでみんな決めつけるんだろう。なんでそんなににやにやして楽しそうなんだろう。

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2年半付き合ってるからなんだ。今時スピード結婚する人もいるし、長く付き合っても突然別れを迎える人達だっている。どうしてこの先大学を卒業するまで付き合い続けていると思えるんだ。遠距離なら女性である私が嫁ぎにいかなければならないのか。医者と結婚したら安定した生活が送れて幸せなのか。安定ってなんだ。

そもそも私は結婚しなければならないのか。

小さい頃は結婚なんてしないと決めていた。母は女手一つで私を育ててくれた。苦労もあっただろうが、少なくとも私の前では母はいつも幸せそうに笑っていたし、私も毎日が楽しかった。父親なんていなくても寂しくなかったし、友達の、父親への愚痴を聞いていたからむしろいなくてよかったと思ったほどだった。

それが、小学生になって変わった。私にも父親はいたということを知ったからだった。それまで私は初めから私には母しかいないと思っていた。私には父の記憶がなかったし、繁殖の仕組みなんてまだ知らなかった。周りは2人で協力しないと1人の子どもを育てられないのに1人ですべてこなしている母は特別だと思っていたほどだ。何かがきっかけで私が勘違いしていることを知って、母が私に父の写真を見せてくれた。父親がいないと思っていた時は全く悲しくなかったのに、いなくなったと知るととたんに胸に穴が空いたような気持ちになるから不思議だった。元々ないのと、なくなることは天と地ほどの差があるのだと子どもながらに思った。

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それから私は自分の家族が欠陥品だと思ってしまうようになった。今まで通り、私は幸せなはずなのに、なにかがしこりとして残った。

かといって結婚しないという救いがあるわけでもなく、そういう人は、不良品として扱われることがあると知った。私の叔父は独身だった。会社で役職についていたし、うちに遊びに来た時は、静かな人なので自分からは誘ってくれないが、私がねだるとおままごとに付き合ってくれた。幼い時は何も思わなかったのに、独身という言葉を知ってから、叔父を見る周りの目が少し冷たいことに気がついてしまった。

私は叔父の優しさも母の強さもちゃんと知っていて、2人とも大好きな人なのに、次第に世間体、世論というしがらみに流されていくのが自分でも分かった。何も知らなかった幼稚園の自分が恋しくなった。大人の会話を聞くたびに、欠陥品の母と、不良品の叔父という概念が私の中に滑り込んできた。

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大人は結婚して、そのまま老いるまで仲睦まじく添い遂げなければならないのだ。幼心に悟った私にとって結婚は求め合った2人が幸せを誓って結ぶものではなく、傷つけられて不幸にならないための保身の手段と化した。

大学生になって色々な話を聞いて、経験して、自分で考えるようになって、そんな極端な考えは薄らいだが、やはり、純粋な気持ちではいられない。結婚してもしなくてもいい。ただ、私が幸せになる道を選びたい。そのためにも私は私の中に住み着いた世の中の一般論を洗い流したいと思っている。