中三のとき、私は学校から逃げた。中高一貫校に通っていた中学生のとき、人間関係や常に詰め込み式の授業に追われることが嫌になって、学校に行かなくなった。もう何もかもから逃げだして、早く解放されるために逃げ出すしかなかった。今となっては、その選択が絶対に間違っていなかったと確信できる。義務教育のまっただなかであった当時は、「学校に行かない、不登校の生徒」というのは公言しづらい状況だったのは確かだ。だけど、今思うと、勇気のある決断だったと思う。
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「逃げる」という言葉に対して、嫌悪感を抱いてしまいがちな人が多い中で、思春期に自らその経験をしてみた私は、「やりたいことを正直にやる」タイプの人間がどれだけカッコイイかを知っている。特に中学生の頃は思春期真っ盛りで、常に情緒不安定。そんなときに、高校進学を控えていること、義務教育という圧力に負けてしまいそうな自分に逃げを作ってみた私は、不登校になるまえよりも人の優しさを感じられるようになっていた。中三の夏休み前から、ずっと休んで秋に学校に復帰した私。その復帰した授業の終わりに国語の先生と、社会の先生が掛けてくれた言葉が今でも忘れられない。
「何か、必要なものがあったらいつでも言ってくださいね。」その一言に、私は救われた。今まで学校を休み、特に塾などに通っていない私にとって学校に登校することはできたものの、中高一貫校の授業スピードに正直サッパリついていける自信がなかった。この学校は私には合わないのかもしれない。そうして途方に暮れながら、高校へはどのような形態で進学すればよいかをぼんやり考えていたとき、その心優しい先生の一言に気づけば救われていた。
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世の中には逃げる人のことを白い目で見る大人もいれば、そっと優しく見守り続けていてくれる心優しい大人もいるということを学んだ瞬間だった。子供から大人への階段を登っていくということは、人の優しさを感じられる証なのかもしれない。それから、私は同じ学校の中高一貫コースではなくスポーツコースに進学し、高校生活を送ることとなった。そこでも、わがままをぼやきながら思春期の揺れ動く感情に振り回されながら、沢山の人に大事にしてもらったなあと思う。担任の先生、当時20歳だった養護教諭の先生、いつも部活と勉強を両立しながら学校に通うクラスメイト、親元を離れて部活に打ち込みながら文武両道を目指している野球部。その逃げない、まっすぐな眼差しに私は救われながら、もう「逃げない」「ここで皆と三年間頑張って、無事卒業して見せる。」今までなかったパワーが漲ってきた。
もし、あのまま逃げずに中高一貫でいたら絶対に得られなかった青春を手に入れることができた私は、もう一度「学校」という狭い世界に立ち向かうことができた。今、学校に行くことに不安を抱えている学生に、逃げることで見えてくる景色があるということを、伝えたい。あのとき、逃げてよかった。私は心の底から、そう思う。逃げて、もう一度新しい場所で仲間を見つけて踏ん張ったから、今の自分がいる。そう思えるからこそ、また困難に出会ったとしても立ち向かう勇気が湧いてくるはずだ。
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逃げて、逃げて、その先に何が待ち受けているのかはわからないけれど、時にその場から逃げることも自分を信じぬくことに繋がっていく。いつか、笑える日が来る。そう願って、自分が幸せでいられる居場所を探していけたらいいと思う。
これから大人になっていくにつれ、また逃げたくなることは山ほど訪れるだろう。しかし、また逃げる選択をしたって構わない。逃げて、自分が幸せになれる場所で花を咲かせてみよう。そうすれば、きっと沈んだ心に眩しい光が射し、明るい未来がやってくるはずだ。