自分は聞き上手だ、と言う人がいる。
だいたいそれには3つのパターンがある。
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ひとつは本当に話を聞くのが上手い人。相槌が心地よくて、表情がやわらかくて、どんどん言葉が出てきてしまって、気付けばあんなことまで言ってしまったと思うくらい言葉を引き出してしまう人。そして絶妙なバランスで自分の話もしてくれる。この場合はなんの問題もない。
もうひとつは、単に話し下手な人。上手く話せないから消去法的に聞く側に回る人が、ちょっと勘違いをしているパターン。話す側にうまく立ち回れない自覚のある人はあまり自分を聞き上手と言わない。話し上手な人は概ね聞き上手なので、シンプル聞き上手はニアリーイコールで話し下手になってしまう場合がある。ただ、話したそうにしている姿はちょっと可愛かったりする。そういう人と話をしている時は「ごめんね、私ばっかり話してるね。◯◯くんはどう?」と完全ターン制に持って行くようにしている。
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そして大人になってから一番手強いのはそのどれにも当てはまらない、意図的に聞き手に回るビジネス聞き上手の存在だ。相手がどんな言葉を選び、どんな価値観を持っているか引き出すのが上手いのに、なかなか自分の話をしない。私はそういう人と話す時は、わかっていても大抵は自分だけべらべら話してしまい、物凄くパーソナルな事まで明かしている。この場合は無理にターン制に持ち込んだりせず、こちらがどういう人間か明かして行くと、突然「僕は実は去年まで同棲していた人がいてね」と話始めてくれたりする。この時の、コツコツと化石を発掘するために掘り進めていったらやっと何か埋まってるものが見えた感覚が割と好きだったりする。稀に自分の話を全くしてくれない人がいるが、この場合は諦める。
基本、人が自分の話をしてくれるのを聞くのが好きだ。
私自身も小さな時は好きなものや、好きな遊び、気に入っているもの、嫌いなものをなんでも人に話すことができた。◯◯ちゃんはベイブレードと遊戯王が好きだよね。とか、◯◯くんは泥団子を作るのが超うまい。とか、それが偏っていたとしても、なんとも思わなかっただろう。それは日に日に変わって行くものでもあるし、増えていくものでもある。自分を形成する過程でそういったものが積み重なり、派生し、刺激したりされたりしながらどんどん広がっていく。そしてみんなが大人になっていく。
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大人になると言葉の選び方やこれまでの時間の過ごし方で、その人がどういう人間なのかを察しないといけない場面に多く出くわす。大人になってから「私、実は泥団子作るのが超うまくてね」と初対面で話すことはないにしろ、自分の好きなものや価値観について話すことは、自分をさらけ出すことのように思えて怖いと感じることがある。仕事の関係ならまだしも、これから先友人関係なのか恋人になるのかといった選択肢が待っている出会いでは、たった一言が、この人は理解できない価値観の人ですスイッチを押しかねない。
どうやら私は人よりも「この話をしたらどう思われるか」を考える執着がないらしい。それは自信でもあるし諦めでもある。だからどのパターンの聞き上手に出会ったとしても、私のスタンスは変わらない。自分の思ったことや、今持つ価値観を、自分の言葉で話す。それしかできないからだ。いつからか取り繕うことも、相手が望むような話をすることもやめてしまった。だいぶ楽になった。もちろん失礼なことはしないけど、今の私を作ってきた過程は変わらないし否定できないし、何よりまだ未完成だけど今の自分にだいたいは満足できていると思う。……たぶん。