心理学の分野では、インナーチャイルドと言われる概念がある。これは、おおむね日本では就学前にあたる6歳までの間に形成されるとされている。内容は、保護者や近しい人から受けた言動や過去の出来事が、自分の無意識領域で跡や癖になり、その後の行動に影響を与えるというもの。

その思考ゆえに私は悲観的な妄想をする癖がある。

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例えばこういう場合。とある夫婦が喧嘩している。どうやら夫が妻に頼まれていた牛乳を買い忘れたよう。

妻は言う。「どうしてなの。あなたは私のことなんてどうだっていいと思っているんでしょ!」
夫は最初は謝っていたものの、徐々に耐えられなくなって声を荒げる。「どうしてそうやっていつも飛躍するんだ!小さなミスを執拗に迫って迫って…頭がおかしくなるよ!!」

こうして2人は喧嘩が絶えない。
でも実はここで語られている裏に、2人のインナーチャイルドが影響を及ぼしている可能性があるのだ。

妻が牛乳の購入忘れを許せないのは、何も今すぐ牛乳が飲みたいからではない。メインの主張は「夫(大事な人)にないがしろにされた」ということ。
遡ってみると、この女性の幼少期は寂しい思い出があった。それは親が姉ばかり可愛がって自分に注目をしてくれなかったということ。
洋服はなんでもおさがり。見たい番組を決めるのはいつもお姉ちゃん。お母さんはお姉ちゃんの受験で忙しくて、私の学校の様子を聞いてくれることは滅多になかった。

今夜、牛乳を忘れた夫も、私の頼んだ牛乳なんてどうでもいいって思ったんだ。私の気持ちなんて誰も聞いてくれない。
一方、夫は小さい時からいつも父親のプレッシャーを感じていた。テストで100点を取っても決して褒めてくれることはない。苦労して入った高校も、「もっと上に受からなかったのはおまえが怠惰だからだ」と言われる始末。小さなミスでも許されず、褒めてもらうことはほとんどなかった。

今夜、牛乳を買い忘れて怒る妻も、小さな出来事を見逃してくれないんだ。俺はいつも認められない。

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こうやって、インナーチャイルドは大人になった後にも思考の決定に分け入ってくるという。そしてこの概念は誰にでもあり、当然良い出来事の可能性もあるし、1つだけとも限らないという。

そして私のインナーチャイルドの1つは、「私なんていなくてもいい」という悲観的なものがあると分析している。

4人兄妹の3番目だった私は、親の愛情を感じながらも、上手く周囲から逸脱しないことで初めて存在価値があると感じていた。
兄妹の世話で忙しい親に迷惑をかけないために、目立ち過ぎず、そして問題を起こさないことが求められていると解釈していたのだ。

この概念を知ってからは随分自分を客観視するようになったが、それでも空気を読む癖、邪魔者にならないように相手の気持ちを考える癖は抜けない。

そしてその癖は恋愛になるとより色濃くでる気がするのだ。
どんなに幸せな時間を過ごしても、夜眠る時は「もし私がここでいなくなったら彼はどう思うのだろう。悲しむのかな」と別れを考える。
つまりは、そこで彼が打ちひしがれる=私を大事に思ってくれるシチュエーションを妄想するのだ。
決して言葉には出さないし実行はしない。でもついこの思考に陥ってしまうのだ。
そう妄想することで、私のインナーチャイルドが泣き出す。

そして私はその子を慰めるために、現在の彼との幸せなLINEを読み返す。
出会って間もなくの、彼が私も彼の好きな漫画を読んでいることを知った喜びのLINEなんてお気に入り。

「ほら、この人は喜んでくれている。私と会うことを楽しみにしてくれているって」
こう語りかけることで、その子も落ち着いてくれる。
幸せになると、ちょっと目立ち過ぎているんじゃないか、と不安になって泣き出すその子を止めることはまだ難しい。
だから、この状況がおかしなことではないことを文字で確認することで、わたしをなだめている。

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学術用語を利用しているだけで、言うなればメンヘラってやつだ。
だからなかなか人には話せない癖ではあるが、私はその癖を無くす努力をするのではなく、共存する方向に舵を切った。

無意識にしてしまう癖を矯正するのは難しい。
でも、考え方次第では、私がわたしに寄り添うものでもあると理解できる。
そうやって、自分を大切にしていくことにした。