「えーじゃあその彼氏と結婚するの?」
電話越しの友人に、また聞きたくもないことを聞いている。なんなら義務感のように聞いてしまっている。
「いやあまだわかんないけど、このままいけば、そうなるかもなあ」
私の友人たちの場合、大体がこうやって返ってくるのも知っている。へえ、と言いながらも結局そうだよな、安定志向が多いもんな、とへの字の口をしている。自分が一人だけ置いて行かれるのが嫌だから、無意識にそう思う気持ちがにじみ出てくるのが辛い。

大学を卒業して社会人になってから、やたら結婚という言葉を意識するようになった。不思議なもので、学生の頃の「いつかは結婚したい」と、社会人になってからの「いつかは結婚したい」の重みの差は、歴然たるものだった。
理由を考えると、さっき挙げた周りの友人たちの影響を思いっきり受けたからだと言えるし、自分のなかで本当の幸せとは何かを意識するようになったからだとも言える。

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「結婚は墓場だよ」「自由がなくなるよ」「家事、育児のストレスは想像以上」というマイナスな言葉が溢れる世の中になったのに、加えて私自身の親も完全に冷め切った夫婦で、口も利かないのを見ているのに、それでも私は結婚をしなくてはならないという呪いに縛られている。なんなら、脅迫観念すら感じる。
どうして。それは、世間体、普通や一般的というものに当てはまったほうが幸せになれる確率が上がりそうだから、子供を産むことが女としての幸せなんじゃないか、そのような類のものが数多にある。でも何よりも私は、

「親が死んだとき、一人で耐えられる気がしないから」

私は一人娘だ。去年、おばあちゃんが死んじゃったとき、葬式でのお母さんの姿を見たことがきっかけだったかもしれない。お母さんは、私が生まれてから見たこともない程にわんわん泣きわめいて、私の腕にしがみついていた。正直怖かった。
でももし、私のお母さんが死んでしまう日がきて、そのときお父さんしかいなかったら、なんならお父さんもいなかったら、そう思うと本当に怖くて、生きていけないだろうなと確信に近い気持ちに気づいた。そのとき旦那というパートナーがいてくれたら、心強いはずだと思った。それはもちろん、自分の心に寄り添ってくれるパートナーと結婚するのが前提の話になるが。何か悲しいことがあったとき、一人で立ちあがる強さが、私にあるのか考えると怖い。

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周りからの影響や、本当の幸せは何かという答えの出ない焦りに加えてひとりぼっちは嫌、この感情たちが私を、結婚への脅迫観念に繋げているのだと思う。どの感情も事実だし、間違っているわけではない。でも、結婚しないとこの感情たちが消えてくれないと決めつけるのは、よくないとわかっている。決めつけ、先入観こそが、あるはずの自由や視野を狭めていくのは知っている。
そして焦りも、人生に対する焦りはとっても大きなものになるからこそ余計に、持ちつづけるのはあまりよくないことだと思う。そうなると、私が今一番するべきなのは、取捨選択と自分にとっての幸せを言語化していくことだと感じる。それが難しいのだが…。

「自分のやりたいことをやる」が私のテーマなので、そこから見極める必要があると思う。世間や、自分の成長環境によって凝り固まった思想、決めつけから一旦解かれる必要があるはずだ。周りばかり見るのも、周りに合わせるように教育されてきたからなんだと認識することができれば、私は少しずつ今の私の考えとだけ向き合えるんじゃないか。向きあった先で結婚が答えならば結婚を選べばいいし、もし全然わからなかったら、そのときの私が気の向くまま選んだ答えにベットしてしまうのも一個の手なんじゃないか。
結婚してもしなくてもなんとかなるさ、女性がみんなそう思える社会になったらいいなと私は願う。