ティッシュ配りのアルバイトの前を何往復もする人。
スーパーを何周もして繰り返し試食を食べる人。
ヨーグルトやアイスの蓋をぺろぺろと舐める人。

身近にそんな人はいただろうか。

私の場合は、母だった。

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母は、父がほとんど単身赴任で家にいない中で、三兄弟を生み育てた。私はその末っ子だ。
決して裕福ではない家庭だったけれど、母は節約家で、上手く家計を回してくれていた。
母が上記の行動をしていたのは、その「節約」の一部だったのかもしれない、と今なら思う。

その「節約」行為は、幼少期の私にとってはあまりに当たり前の日常の一コマで、特段違和感も覚えていなかった。

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 異を初めて唱えたのは、中学生の頃だったと思う。

その日は、私と母で買い物後にスターバックスコーヒーで休憩をしていた。

おしゃべりをしながらの足の休憩も済み、そろそろ行こうかと言った段階で、母がカップを外し、クリームが付いたストローの下部を舐めた。

ぺろぺろ、ぺろぺろ、と。

私はどんな顔をしていただろう。恥ずかしさで赤面していたかもしれない。軽蔑の目を向けていたかもしれない。

ただ、はっきりと、「外でそんなことやめてよ、恥ずかしい」と言い捨てた。

その言葉に一瞬驚いた後に、「何よ、最後まで食べてただけでしょ」と激高する母を見て、人生で初めて母を「卑しい」と思った。

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 それ以降、私は、20代後半に差し掛かる今までずっと、人から「卑しい」「育ちが悪い」と思われることを恐れた。

母の娘だから。同じ家庭で育ってきたから。同じように誰かに「卑しい」と思われることをしでかすのではないかと思うと、怖くなった。

成人してから初めて交際した人は、まさにその対極の、「時間や手間をお金で買う」主義の人だった。

移動はタクシー。買い物はコンビニ。食事は外食。

かなり年上だったこともあり、金銭感覚は大きく異なった。

でも、「電車で行こうよ」も、「スーパーだったらクーポン使えるから100円ぐらい安いよ」も、「節約しよう、家で何か作るよ」も、卑しい、貧乏くさいと思われたらと思うと言えなかった。

私の金銭感覚も少しずつ麻痺して、「これが社会人同士のお付き合いなんだな」と自分を納得させていた。

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その後、紆余曲折ありその人とは別れ、現在の恋人と交際を始めた。

変な話だが、ランチで個別会計をするところに「経済観念がしっかりしている人だな」と好感を覚え、そこからどんどん私がハマっていってしまい、猛アタックして好きになってもらった人だ。

そんな彼の趣味はポイ活。

「楽天スーパーセールが始まるから一緒に買い物しよう!」「この駅ビルはJREポイント貯まるから」と楽しそうにする彼を見て、正直なところ、初めは動揺した。

いいの?安さとかお得さを追いかけてる姿って、大っぴらに人に見せても良いものなの?

他の人に卑しいって、こまごまとした金勘定してて貧乏くさいって思われるかもしれないんだよ?と。

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恋人とたくさんの時間を過ごすうちに、ポイントを貯めることやセールで物を買うことは「卑しさ」ではないんだと少しずつ目が覚めた。

恋人は友達と当たり前に「ビックカメラで〇日からXXXが安くなるらしいよ。買う?」というチャットを飛ばしあっている。

恋人の周りの人だけでなく、私の職場の男性も「ポイ活が趣味なんだけど、エアコンクリーニングにポイントが使えて一台5千円ぐらいで出来たんですよ」と何の気なしに話していた。

ちなみに、その話の結論は「エアコンは個人で掃除できる領域に限界があるから業者を定期的に呼んだ方が良い」という、節約とは関係ない帰結だったが、私は話そっちのけで「人前でポイ活の話ってしていいんだ…」と衝撃を受けていた。

それぐらいに、「節約の話を外で、一般的な世間話としてすること」と、ある種のカルチャーショックを受けたのだった。

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そうは言っても、未だに「自分の行動が卑しく見られないかどうか」で行動してしまうところは多々ある。

スーパーの試食は食べられないし、街角のティッシュ配りは無視する。綺麗に食べれず育ちが悪いと思われるのが怖いので、外で焼き魚定食は頼まない。

それでも、少しずつでも、卑しさの呪縛から自分を解けたらいいな、生きやすくなるといいな、と思う。