結婚願望がなかった。
両親の怒鳴り合いの喧嘩で、家の空気はずっと重苦しかった。結婚が幸せの象徴だなんて嘘だ、こんな家庭になるくらいなら結婚なんて一生しない。皿の割れる音にそう思っていた。
「結婚しよう」
そんな私は恋人に言った。
新社会人の夏。
私はとにかく結婚がしたかった。

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誰もが知っている大学、皆が羨む勤務先。
高スペックな恋人は、話し上手で人当たりもよく、行動力があって機転も効いた。多くの人から慕われる派手な彼といると、つまらない愚図な私まで特別な存在になったみたいだった。

「海外に出向になるかもしれない」
そう言った彼に、私は迷いなく結婚を提案した。
帯同して海外で彼を支える、良き妻としてのイメージは完璧だった。お互い知り合ってから長く、学生のころから2年付き合っていたこともあり、話は順調に進んでいった。
「親が君の家柄を心配している」
彼にそう言われるまでは。

私の両親は、私が高校生のころに離婚している。

要するに、離婚する家庭には問題があり、育ちが悪い。わざわざそんな子と結婚しなくてもいいのではないか。そんな話だった。

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泣いた。

言葉が喉に詰まって、気づいたらぼろぼろと涙が溢れていた。生まれて初めて、賑やかなレストランで人目もはばからず泣いた。
本当は家族が好きだった私。
布団に丸まって、襖の向こうから聞こえる怒声から耳を背けていた幼い私。
田舎から上京し、奨学金で大学に通っていた私。
お金がない中、必死で育ててくれた母や支えてくれた人たち。楽しかった学生生活。気にかけてくれた優しい友だち。
今までの全部が否定された気がして、許せなかった。ひとつ崩れるとまたひとつ、ふたつと許せないことが増えて、一緒にいることや話をすること、連絡をとることさえ苦痛になっていった。

話し合いの末、私たちは婚約を解消して別の道を選んだ。
ひとりになって、私は何度も何度も考えた。
なぜ、私はあんなに焦っていたんだろう。
なぜ、彼にこだわっていたんだろう。
彼のどこが、好きだったんだろう。
結婚願望は、またすぅっと消えてなくなっていた。

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当時を思い出すと、どうしてあんなに結婚したかったのかなんとなく分かる。
つまらない答えだけれど、私は結婚して「幸せ」になりたかったのだ。
愚図な私が、穏やかな家庭を知らない私が、つまらない日常が、劇的に変わるとしたらそれが特別な人との「結婚」なのだと思い込んでいた。
「幸せ」になるために、私は結婚がしたかったのだ。だから、ひとつの障害も乗り越えられなかった。

相手と理解し合おうとしなかった。知ろうとも知ってもらおうともしないまま、ただ「幸せ」にしてくれるのだろうとあぐらをかいていた。そんな他人任せな人間が、自然に幸せになれるわけなどなかったのだ。

あれから数年経って、私は別の人と結婚した。派手さはない、どちらかというと消極的で影の薄い人だ。
夫と付き合ってから、私は自分が感情豊かでわがままで、行動的で気分屋なことを知った。夫といる私は不思議と、愚かなところも優れたところもある普通の人間になれて、それがとても心地よかった。

知り合ってから結婚するまで、拍子抜けするほどあっさり事は進んだ。結婚指輪を作り前撮りをして挙式を行った今でも、あまり結婚をしたという実感がない。それくらい、夫は結婚前も結婚後も私の生活に溶け込んでいる。

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籍を入れるという話になったとき、「幸せになるぞ」とは思わなかった。それはきっと、幸せな日常を変えないために結婚したからだ。
この人と一緒にいる時間がただ穏やかで幸せで、それを今後も続けたいから。
なにかあったときに1番に支え合いたいから。
お互いの家族や親戚を大事にしたいから。
この日常を死ぬまで守っていくぞと決めたから。

もがいていた過去の自分に言えるならば。
結婚したくなかった私へ。
そのままで大丈夫。ずっと守りたい幸せが、日常になったら考えよう。
結婚願望が強かった私へ。
そのままで大丈夫。ずっと守りたい幸せが、日常にあるか考えよう。