わたしが結婚しないと誓ったのはいつだったろう。10歳になるかならないかの時だった気がする。両親はわたしを殴ったり暴言を吐くだけでなくふたりで激しい口論や喧嘩を繰り返し、母は出ていくと泣き叫んでは「あんたがいるから離婚できない!」とわたしに向かって言った。

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母が述べるもうひとつの離婚できない理由は母がほとんど専業主婦だったことで、それはわたしの親の世代としてはやや遅れた価値観のようにも思えたが、嫁入り道具を持ってきたとも言っていたし、父の収入だけで生活はたしかに回っていた……のかもしれない。

わたしの両親が結婚した理由は詳しくはわからないのだけれど、少なくとも恋愛でなかったことはたしかだと思う。わたしが望まれた子、だったかはわからないけれども、少なくとも母は子どもを──わたしかどうかは別として──作りたかったらしい。父はおそらく望んでいなかったと思うが、母に逆らわなかったのか、親からの圧力でもあったのか、両方か、そんなところだと思う。

そんなわけでわたしは小学校高学年になる頃には絶対に結婚はしない、と心に決めていたし、周囲が男性アイドルに沸き立つ中ひとり2次元に浸っていた。同じ頃に希死念慮や離人感を抱えるようになったこともあって、そもそも自分が結婚をするような年齢まで生きるとも思わない日々を送っていた。

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中学の3年間は同じように2次元に浸って過ごし、高校生になると周囲は早くも彼氏を作ったり、その彼氏とすることをしていたけれど、そんな同級生を眺めながらいまいち理解できないな、と思って実際わたしにはなにも起こらず、起こさず、そのまま卒業した。

大学に入ったわたしにできた親しい友人は「結婚したい」「子どもがほしい」が口癖だった。なぜあんなことを、親戚だって面倒なだけで、メリットなんかない、とわたしは主張したし、結婚は墓場だというクリシェを時々その子に言ってみたがわたしも彼女もどちらも自分が正しいと思っていて、かといってとくに喧嘩もせず、時々その子にできた彼氏をジャッジする、振り返れば普通の学生時代だった。

ゼミには同じように結婚とかいいや、という友人もいたし、彼氏どころではなくわたしよりも2次元がすべてのように思う友人もいて、わたしは高校時代と同じく恋愛は他人事として過ごした。

結婚は絶対によくない、墓場だ、という気持ちが薄れたわけではなかったが、社会人になってから、セクシュアリティを自分に問うような時期を経ていつしかわたしはパートナーが欲しい、と思うようになっていた。ただもちろん結婚をする気は一切なかったし、パートナーが欲しいという気持ちも現実には難しいだろうな、という思いが根底にあってのことだった。

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ここまで書いてみて、いま自分が法律的に婚姻状態にあるのはどう考えても不思議である。幸運なことに人生を共にするパートナーに出会えたけれど、それも出会おうとして出会ったわけではなく、偶然だった。
セクシュアルマイノリティとしては同性婚やフランスのパックス婚のような下位制度がない中、結婚していることに引け目もある。ある、というか毎日うっすらと感じていると言った方が正しいだろうか。

だからわたしは結婚イコール幸せとはまったく思っていないし、同じ年齢で働いていなければ変に思われるのに、結婚しているというだけで女性として免罪されるような雰囲気もなかなかに疑問だ。法律婚をしなくても、パートナーを持たずに生きても、あるいは結婚せずに子どもを持っても、幸せになることは可能だし、結婚している方が社会的信用度が高くなるなんてナンセンスだと思っている。

扶養内で働くということにも、その制度がまったく変わらないまま運用されていることも、おかしなことだと思いながら、配偶者・有にマルをつける日々は続いている。