このエッセイを書いている今の私は、幸せの真っただ中にいる。
結婚はしていない。

だけれど、心から信頼していて、バリキャリの私だって、ついデレてしまうような、そんな大切なパートナーがいる。
恋人ではなく、あえてパートナーと言いたい。私たちは良い意味で気を遣わないから。

◎          ◎

日曜日の昨日は、大好きなパートナーとのデートだった。
カメラ好きな私たちは、四季それぞれの風景を撮ることにしている。
春には河津桜を、初夏には紫陽花を、夏には海を、秋には紅葉を、そして、冬にはイルミネーションを。

梅雨の6月は、紫陽花が有名なお寺に行こうと決めていた。
私も車の運転はできるけれど、彼が運転する車の助手席に乗り込むことが好きだ。
今になっても、どこかに車を停めて降りるたびに、初めてのドライブデートの時にように、「ありがとうございます」と言ってから降りるようにしている。

日曜日のお寺周辺の駐車場はどこも満車で、普段なら無料で停められる駐車場も
この紫陽花観光需要に便乗して、800円や1,000円という強気の値段だ。
運がよかった私たちは、ちょうど1台分だけ空きがあった無料の駐車場を見つけた。

紫陽花の写真をたくさんとって、その後は喫茶店でかき氷を食べていた。
あの日はなぜかいつもよりも愛し合いたい気分だった。
そして、少し調子に乗ってしまい、「一応飲んだ方がいいのかな」と車の中でアフターピルのオンライン診察を受けた。

◎          ◎

あの時の私の顔はマジだったらしい。彼はそう言っていた。

真剣な怖い顔をしていたと。
何事もなかったかのように、ショッピングモールにある、少しだけ高級な回転寿司でお寿司を食べて、日曜日を終えた。

そして、今朝、月曜日に宅急便で届いたアフターピル。
「飲んだよ」と錠剤を取り出した跡が残っているアフターピルのシートの写真を彼に送り、
彼は「ほんとうにごめん」と。

仕事やキャリア、お金の話も気兼ねなくできる関係性で、たまに「結婚しちゃおっか」なんて冗談も言うし、子供の名前はどんなのがいいか、なんて話もする。

だから、いっそのことアフターピルは飲まずに、運命に身を任せて、妊娠なら結婚する、子供を産む、育てる、という道を選ぶこともできたと思う。
ただ、私は「できちゃった婚」だけはしたくないとずっと言ってきた、不幸せだと思うから。

◎          ◎

妊娠を理由に結婚するなら私は結婚したくないと。
飲んだアフターピルの副作用で、微熱が出て、だるいと感じながらも、私がなぜアフターピルを飲んだのか、について考えてみることにした。

私は「できちゃった婚」が嫌だ。私は、子供について悩まない幸せな結婚生活を送りたいし、子供に聞こえないようにと静かに、隠れながらいちゃつくのではなく、もっと好きな人と愛し合いたい。

「幸せな結婚」って何だろう。
「幸せな結婚」があるのなら、「不幸せな結婚」も存在するのだろうか。
私は、結婚したくないわけでもないし、結婚したいわけでもない。
私は、妊娠したくないわけでもないし、妊娠したいわけでもない。

「なぜか分からないけど、私は誰かの奥さんになって、母親になりたいの」

「なんでそんなに結婚にこだわるの?」と質問した私に対して私の友人はそう答えていた。

◎          ◎

友人は、1年以上付き合っている年上の彼氏が、結婚の「け」の字も出さず、冗談であっても結婚や子供の話にならないことに悩んでいた。
晩婚化が進み、30歳で初めて妊娠、出産を経験しても、決して遅くはない時代で、30歳までまだ数年以上は時間の猶予がある彼女が、将来や結婚というテーマを持ち出さないという理由だけで、なぜ大好きな恋人の評価を下げているのか、私には理解できない。

私は「誰かの奥さんになって、母親になる」ことに恐怖さえ感じる。
母親になることで、「○○(子供)のママ」という名刺が出来上がり、その名刺でしか通用しなくなることが。私という存在が薄まってしまうことが。

今朝、アフターピルを飲んで、なぜか強くなれた気がした。
乱暴なやり方ではあるけれど、「できちゃった婚」はしたくないという一種の私の意思表示だった。今までの相手には、コンドームの着用を徹底させていたし、私は、低用量ピルを服用していた時期もあった。

言い方は悪いけれど、それは「子どもができちゃったらいやだから」だ。
「この人の子供が欲しい」と言うほど強い母性や妊娠、出産への憧れはないけれど、「この人となら、妊娠してもいいかもしれない」と本気で思えた相手が、今のパートナーだから、あの日曜日は幸せな日だった。