「なんかもう、人生でやることないかも」中高生時代の友人で、ここ数年で結婚して、子供をふたり持って、都内にマンションを買った友人が、先日そんなことを言っていたと聞いてとても驚いた。ここまで、「あがりに行っている」ことを直接言葉に表す人がいるのだと、一周回って感銘さえ受けた。

20代後半に突入すると、たとえ同じ大学を出た同士でも収入に開きが出てきて、働き方のバリエーションも増え、理想の生き方みたいなのも見えてきて、結婚している/していないの差異も際立ち始め、ちょうどここ数年のフィードバックが各々の現在地として具現化している、みたいな状態になる。みんなお互いの現在地をこっそりと確認し合い、安心したり焦ったりする。
今、「結婚・子供・安定収入・家」の4拍子揃った人たちを見ていて、たとえどんなに仲が良かった人に対してでも、「ああ、人生あがった気になってるのかな」と思う。意地悪い考え方だけど、大人時代のセットアップが全て完了し、あとはこのセッティングで残りの人生を続けていけば万事OKだと思っているのかな、と。

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わたし自身の話をしよう。
結婚して1年ちょっとが経った。子供はまだいない。
どちらかというと恋人>友達というタイプだった自分だが、結婚!となると「何よりも家庭を大事にし、優先しなくてはならない」という社会的コンセンサスをひしひしと感じて結構つらい。友人との約束を入れる頻度についての正解を悩んだり、帰宅時間を以前よりもずいぶん配慮して行動したり、「結婚とは、こうやって友達の優先順位が下がっていくということなのだろうか」と今更すぎる悩みを抱えている。

家庭にフォーカスし、結婚式でも常套句である「あたたかい、幸せな家庭」を築くことに注力するフェーズに入るのだと言われれば、理解できなくはない。むしろ、わたし自身も「夫」や「子供」が欲しいのではなくて、「家族」が欲しいと思って結婚した。
わたしは結婚そのものに幸せがあるというより、その先の家族形成に幸せがあると思っている(そう思う理由は、ありがたいことに自分の家庭環境がよかったからだ)。結婚は家族を形成するために、移ろいやすいわたしたちの心を、ちょっとやそっとじゃ解消できない枠組みで留めていてくれる良心的なシステムなのかなあと。だからこそゴールなんかでは全然なくて、むしろスタート地点であり、そこに立ってから先が、気の遠くなる程長いのかもしれない……と薄々気づき始めた。

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パートナーになることはあくまで個と個のマッチングで、すでに確立している個人同士がペアになる出来事だが、家族形成はまったくの無から行われる。決して子供ありきだとは思わないが、例えば子供がやっと大人になった頃、「うちって結構いい家族だよね」とこっそり伝えてくれる、それくらいの時間をかけてやっと結論が出るようなものなのかも。

だからこそ、同年代ですでに「人生あがった」感を出している友人を見ると「待って待って!」と思う。逆だ。結婚することで、果てのないロングジャーニーを始めてしまったんだよ!

そんな長いプロセスに、わたしが今、本腰据えて臨まなければいけないのは重々承知だ。しかし、それと並行して今まで大事にしてきた友人関係はどんどん希薄になっていくの?と思うと、総体的な幸せ量でいったら本当にプラスなのかわからなくなっている。そんなふうに思うのはいまだに自分が幼稚な証拠なのだろうか?子供ができたら、また考えが変わるのだろうか?答えはしばらく出そうにないが、もやもやした気持ちやさみしさと今後もしばらく対峙したり、そしていつかは折り合いをつけなくてはいけなさそうだな、というのは感じている。

それでもわたしは、結婚しない、という選択肢は取れなかっただろう。結婚のその先にある、まだ姿形の何もわからない幸せを、自分の親や祖父母がしてくれたように、きっとわたしも形作れるはず、と信じてやっていくだろう。そのゴールはそもそもあるのかわからないし、いつの間にか気づかずに通り過ぎているような、何気ないものかもしれない。