母と娘は難しい。
特に母が50代になってここ数年は小さな衝突が増えたように思う。
親子とはいえもちろん性質の違いがあるし、一緒に暮らしているので互いの我慢ならぬところが尚更浮き彫りになってしまうのだろうとも思う。
しかし家族である以上、気が合わずとも付き合っていかねばならないし、命をかけて産み育ててくれた人を愛したい気持ちがある。ここ暫くのモヤモヤとした関係性のままでは寂しいが、かといって本人を前にこれといって話し合うとこともない。
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そこで私は旅に出ることにした。母の生まれ育ったふるさと、鹿児島。
過去に何度か帰省についてきたことがあったが、自分の意思でその景色を見るのは新鮮だ。
今住んでいる関西から飛行機でひとっ飛び、電車に揺られ大きな観覧車が有名な鹿児島中央駅に降り立った。駅の近くの天文館周辺には名物しろくまかき氷の店がいくつもあり、私は母から聞き馴染みのあった老舗の列に並んだ。母が食べていたころよりも写真映えするのであろうしろくまは色とりどりのフルーツがのり食べるのを躊躇うほど愛らしい。一枚撮って後で母に見せよう。
そこからローカル線で30分ほど、母の実家がある姶良市へ。
加治木饅頭、あご肉、伝統工芸帖佐人形などが有名。観光としては目立たぬ地名だが、海も近く人っ気が少ないだけあって恵みを独り占めできるまさにディープな鹿児島だ。市内や霧島も近いので観光の拠点にしても良いだろう。
防波堤で遊んでいて転び、顎を八針縫う怪我をしたという母の幼少のエピソードを回顧しつつ、海の辺りを足元に気をつけながら歩くことにした。季節が来ればシジミをとって近くの子どもはみんな遊んだという。この時は秋が目前、昼過ぎでも涼しくふと立ち止まって目を閉じ深呼吸すると、一層強く感じる潮の香りがなんとも言えず私の五感を癒す。
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それから実家近くの椋鳩十文学記念館や新しくできて人気だと言うパン屋さんを巡った後、予約していたホテルのチェックインまで何気ない日常の散歩を楽しんだ。
夜は予め連絡しておいた知人と夕食。鹿児島自慢の地鶏と黒豚を満喫できる良い店だった。さらに、その知人というのは母と叔父など4人いる兄弟たちの幼馴染なのであり、各々に悪戯を繰り広げ何度も仲良く校長室に呼ばれた思い出を頬を赤らめながら教えてくれた。中でも、実は長い間美人で面倒見の良いまあちゃん(私の母の愛称)のことを好きだったが当時の叔父に子どもながら牽制されたという話は実に面白いと思った。
2日目は次の日の仕事に間に合うようとっておいた夕方の飛行機まで時間がある。
引き続き知人が小学校を案内してくれた後、車で鹿児島中央まで送ってくれると言うので天気予報に灰を降らせる桜島を目に焼き付けながらドライブをした。
この旅で、つまみになる土産話がたくさんできた、と母の好きな芋焼酎を空港で手に入れた。
こんなに母のことを想像しながら旅をしたのは初めてで、ふるさとを通して母という肩書き以前のひとりの人間を見つめなおせた気がした。口下手で自分を語らない本人の代わりに鹿児島が、その人生と、私のルーツをも私に教えてくれたのだ。
心は晴れ晴れとし、これから母と(幸年期)を過ごそう、そう誓った。