私には生まれつきのあざがある。麦チョコくらいの大きさのものから一円玉くらいのものまで、赤いあざが体に点在している。腕に脚、顔にお腹…。幼い頃は見た目がよくないと気にしていたが、年齢を重ねるに連れて、そこまで気に留めなくなった。それでも、「何でこのあざができたんだろう」と調べることもある。検索すると、必ずスピリチュアルなWebサイトにたどり着く。

生まれつきのあざには、どうやら意味があるらしい。胸にあるあざには「今世では愛情を与えなさい」という使命が宿されているとのこと。私は胸元の赤いそれを見て、考えてしまう。私は愛を与える自信がない。そもそも、できないと思っている自分がいる。

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私は幼い頃から、結婚願望が全くなかった。物心ついた頃、まだ言葉を紡ぐことができなかったが、「私の家族は仲があまり良くない」と感じ取っていた。母は父や祖父母の愚痴を言っていたし、父は少し偉そうで何を考えているか分からないし。

父と母が同じソファに座っている姿を見た時は、「何か嫌だ」と思ってしまった。それでも、家族は愛情を注いでくれたと思う。幼い私は愛情が欲しいがために、気を遣っていると思えば極端にわがままに振る舞ったりした。でもどの場面でも、うまく言葉に表せない不安や恐怖心があったと思う。家族を悪く言うべきではない。しかし、家族を持つことが、結婚することが幸せなのか、心の中でずっと疑問に思っていた。

そして現在。30歳をあと1年と少しで迎えようとしている私は、未だに結婚したいと思ったことがない。地元の同級生やかつてのサークル仲間の結婚・出産報告を聞いて、驚いたり、おめでたいと思ったりしたが、どうしても他人事にしか思えない。

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だって、家族を持つって大変じゃない?いくら惹かれたパートナーでも、嫌な部分や許せない部分が時間の経過と共に見えてくるだろうし、それを許せる器が私にはない。「育児を受けた経験者」として振り返ると、少なくても私みたいな人間はあまりにも手がかかるし、予想外のことをするし、周囲の人をたくさん困らせてきた。そんな人間を育てるのって、疲れないのかなって思う。

それでも、好きな人がいるから、大切だから、愛おしいから、それぞれの理由で家族を育んでいる人たちをこれまで見てきた。

家族を大切にできる人って、素敵で羨ましい。羨ましいと思うのは、私にできないことだから。昔から私は自己中心的で、一人行動が好きで、感情の波が大きかった。そんな私が、家族を築けるくらい、誰かを愛することができない。

友人はそれぞれのライフステージを迎えており、会いたいと思っても邪魔をしたくないから躊躇ってしまう。社会人になり大きなストレスで心身ボロボロになったことがきっかけで、恋愛感情もなくなった。地元にいる家族も、最近トラブルがあり、近寄りがたくなってしまった。

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一人で生きていくことは構わない。社会基盤が最低限整っているから、一人でも生きていけるだろう。それでも、誰か近くにいて欲しいと思ってしまう。
結婚しなくてもいい。一緒にいて心地よくて、大切だと思える人が生活の範囲内に、気兼ねなく声をかけられる距離にいたら十分だ。できたら、ハグとか、手を握るとか、人のぬくもりを肌で感じたい。そう思っていても、私はいつも、人と少しでも触れるとびっくりして怯えてしまうけども。

最近、小説や映画、漫画などの創作物に没頭することが多い。お気に入りの作品は大抵、友情とか、恋愛とか、既存の言葉に縛られない愛のかたちを描いている。そんな世界に憧れてしまう。私も誰かと幸せに生きていけたら。その願望は実現するだろうか。

従来の常識と昨今の多様性がごちゃ混ぜになって均衡が取れていない社会に、そして、愛情の与え方と自分にとっての幸せがよく分からない私自身に、さほど期待していない。