1年目は苦労続き。辞めたい理由は、「しんどいから」と伝えた

私の家は、アルバイトするくらいならお金をあげるから勉強をしなさい、という家で、高校を卒業するまではアルバイトをしたことがなかった。
大学に入学して、お金というよりは仕事というものに漠然とした興味を持ち、アルバイトをすることを夢見るようになった。はじめはテーマパークとかいいな、カフェのバイトもしたいな、と思いを膨らませていたが、急展開となった。
サークルでお金が必要となったうえに、サークルのせいで時間がない。地元を離れ、なれない都会でパソコンとにらめっこをしてアルバイトを探した。

しかしなかなかアルバイト先は決まらない。「週一、バイト」で検索しているから当たり前だ。そんな都合の良い職などあるはずがなかった。
唯一ヒットしたのは塾講師。これが長い長い塾講師生活の始まりである。

最初の一年は苦労続きだった。担当した生徒全員から先生を替えてください、と頼まれた。何がいけないかもわからなくなり、しまいには「辞めます」と塾長に言いにいった。
しかし塾業界はどうしても人手が少なく、引き留められると断れなく、新人が入るまでの数ヶ月はしぶしぶ続けることとなった。
辞めたい理由は正直に「しんどいから」と伝えた。その方が早く辞められると思ったからだ。
そうしたら塾長はあの手この手で私の引き留め作戦にでた。塾長は色んな授業を見学させてくれた。それでうまくなったわけではないが、生徒とは仲良くなった。だんだん生徒と会うのが楽しくなった私は、塾講師2年目を迎えることに決めた。

受験生を受け持ち、最後までやりきった。やりがいに満ちあふれていた

そんな時、塾長からやっとゴーサインが出て、新しい生徒を持たせてもらえることになった。同時に塾長は違う校舎へと異動していった。

新しい生徒は受験生だった。私は必死になった。どうすれば成績が伸びるか試行錯誤を重ね、生徒が塾に来たい、と思う空間作りに励んだ。
保護者にも電話をした。あまり親しくなかった先輩や同期にも積極的に相談をして、技術の向上に努めた。そして、生徒は合格した。
私にとって、初めての生徒の合格。同時に初めて最後まで担当をやりきった。保護者の方からも大変感謝してもらえ、やりがいに満ちあふれていた。

新しい塾長は積極的にアルバイトを信頼してくれる人だった。そのため比較的自由がきいた。塾講師の先生にはたまに、お金をもらわなくてもいいから教えてあげたい、という人もいるが、私は以前はどちらかというとお金は欲しいタイプだった。そのため、やる気のある先生と対立したこともある。正直周りからはどうせすぐ辞める、と思われていたと思う。

ただこのころから私はうすうす気づき始めていた。
本気で生徒に向き合うと、生徒もまたこちらを向いてくれる。手紙をもらったり、私の悩みを聞いてもらったり、先生がいいって指名してもらったり、そういう経験を通して自信をつけるとともに、この仕事の面白さに気がついていった。
すごく楽しい、でもすごく楽しくなかった時期もある。この経験が根底にあることを忘れないようにしながら、後輩とも付き合いをするようにした。

お金だけではない価値を仕事に見いだせた幸せを、私は経験できた

そんなこんなで4年勤め、大学院進学を迎えた。大学院は思いのほか忙しく、アルバイトどころではない、と思う日も多かった。
それでもなぜか辞められなかった。今日も生徒が待っている、そう思うと自然と足が塾へと向いた。自然と早く来て準備をするようになったし、自然と居残りをするようになった。

そうして最後の日を迎えた。私が最後であることを知った後輩たちが、わざわざ塾へと出向き、ブーケとお礼の品をくれた。そして、塾長からは「お世話になりました、コロナ禍でお礼の会も開けずすみません」と言われた。
もうその言葉でだめだった。私の方がお世話になったのに、と涙があふれて止まらなくなった。

仕事に限らず何事も2年目を迎えられることは幸せなことだと思う。そしてお金だけではない価値を仕事に見いだせたらそんなに幸せなことはない。
芸能人が言っていた「お金のために働いてないって思った時にぞくっときた」という経験ができた私は幸福である。