私の周りも3年前くらいに結婚が相次ぎ、世に言う第一次結婚ブームが到来していた。
年頃になると、男性よりも女性の方が早い時期から結婚を意識し始めて、その認識感の違いでお別れをするような悲しいパターンも中には出てくる。自身は結婚をしていないが、結婚とはなにかをよく考えるようになった。
「結婚」は最大の親孝行なのだと思うようになった
私は「結婚とは、愛のバトン渡し」だと考える。少しカッコつけた言いかたで照れ臭いが、簡単に言うと親から子に注ぐ愛情から、親がその愛情を未来の旦那または嫁に引き継ぐのが結婚だという認識であると捉えているということだ。
私は自身でいうのもなんだが、親から溢れるほどの愛情を注いでもらって育った。親の愛情に疑問を持ったこともないし逆も然りだと思う。
そんな私が社会人になり、お金を稼ぐことの大変さ、自身一人の生活さえ大変なのに子供を育てあげた親の偉大さを思うようになった。
父や母に密かに少しずつ恩返しを始めた頃に、幼なじみの結婚式に参列した。
母は、幼なじみの結婚式で実の母親よりも泣いて笑われていた。その姿を見て「結婚」は最大の親孝行なのだと思うようになった。
結婚とは、親の愛をパートナーへ受け継ぐバトンのよう
その後も幾たび結婚式に参列させていただく機会があった。その中で、バージンロードが私の結婚観を固めた。
父親と共にバージンロードを歩き、その先にいる旦那に娘を手渡す。その儀式はまるで愛情をバトン渡ししているように思えたのだ。
それは父親だけではなく、子から両親への手紙のシーンにも表れている。
結婚したからといって親から子への愛情が途絶えるわけではないけれど、ああいった結婚式の名シーンは親からの卒業を感じさせた。だからこそ、あんなにも感動するのだ。親は子の巣立ちを認知し、子は新たな家族の元へ飛びたっていくと。
そう考えた時に、親がバトンの渡し先として疑問に思ったり心配するような相手を選ぶのはやめようと決めた。親が注いでくれた愛情をそのまま安心して引き渡せるような相手、それを疑問に思わない相手を探そうと。
それは、逆も然りである。相手のご両親が愛のバトン渡し先として安心できる相手で私もありたいと思う。
それは、日々の積み重ねだろう。
私はまだ未婚の身だが、そうした結婚ができる日を夢見ている。