「〇〇大学から来ました、××です。2週間よろしくお願いします」。そう言って頭を下げる実習生。私たち教員は礼儀的に拍手をする。毎年6月の恒例行事、教育実習が今年も始まった。

現在教員として働いている私も、もちろん教育実習生だった時がある。梅雨に入って蒸し暑い日が続くというのに、毎朝個性のない真っ黒なリクルートスーツを着て、教員になるための修行に赴く。大半の実習生は母校に実習に行くことになる。私もそうだった。しかし母校は卒業生を「おかえり」と受け入れてはくれない。「しかたなく、時間を割いて、わざわざ受け入れてやっている」私はそう言われた。

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「はじめこそ順調だった」とも言えないくらい、私は出だしでつまずいた。教科指導教諭とうまくコミュニケーションが取れなかったのだ。指導案を見せてもそのまま返ってくる。指導案通りの授業をしたらあれがダメだった、これがダメだったと言われる。パソコンを使わせてもらえない。連絡事項を知らされない。度々「あなたのせいで帰れない」「あなたには期待していない」と言われる。など。多分、生まれて初めて理由なく悪意を向けられた日々が始まっていた。

恐ろしいことに、渦中にいるときにはそれに気が付くことができなかった。私が在学中にはいなかった教員だったため、どういった人なのか、どう話していいかわからないだけだと思っていた。全部、全部自分が悪いのだと思った。毎日涙は止まらないが、眠れるし、ご飯も食べられているから大丈夫だと思った。毎日親から「もう行かなくていい」と言われても、毎晩大学の先生から電話で「大学に帰ってきなさい」と言われても大丈夫だと思っていた。

最終日前日、実習日誌を突き返された。自分では学びが多いと思った1日だったため、ページを自分で継ぎ足して2枚分の活動報告を書いたら「指定通りの枚数でまとめることもできないのか」と言われた。家に帰って書くように言われて、早めに帰宅させられた。リビングで日誌を開いて書こうとしたが、私の手は一切動かなかった。書けなかった。実習に「行かない」のではなく、「行けなく」なってしまった。

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実習最終日の朝、前日の活動記録は真っ白のまま。私は久しぶりに自分が好きな服を着た。母から、学校から借りていた教科書をすべて学校に返したという報告のLINEがきた直後、私のスマホに着信が入った。私は出なかった。

この日は金曜日だった。学校から戻ってきた母と一緒にショッピングモールに出かけて、青いワンピースを買った。梅雨の蒸し暑さを吹き飛ばす、ノースリーブのワンピース。平日の、人がまばらにしかいないショッピングモールを歩いていると、視界が妙に明るいことに気がついた。2週間、ずっと私の視界は暗く、学校の床しか見ていなかったことに気がついた。「実習最終日、行けなかったな」という気持ちの中で、どこかほっとしていた。

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その後、(精神科に通ったり、学校のカウンセリングに行ったり、大学院に進学することになったり)紆余曲折あって高校の教員になった。正直、実習を最後まで終わらせなかった私が教員になっていいのかという葛藤がかなりあった。しかし、それ以外にできることがとんと見当たらず、今の高校に腰を落ち着けることになった。母校と一駅しか離れていない高校の教員になったのだ。

極力近くを通らないようにしているが、ふと視界に母校が見えると「あの時、最後まで行っていたらどうなっていたのだろう」と考える。きっと教員にはなっていないだろう。実習生を受け入れて、拍手をするなんてことはなかっただろう。「実習生よ、逃げてもいいんだぞ」という思いを込めて。