私は中学生のころ、別室登校をしていた。
毎日学校には行っていたけれど、同級生との関わりは一切なかった。
いろいろあったから会うのが怖かったし、向こうももう自分に対して気まずさを感じるだろうから、もう関係の再構築みたいなものは諦めていた。
1年生の前半からずっとこの状態だから、先生達ももう私を教室に入れようとすることはなくなった。保健室に登校し、保健室から下校する。そんな毎日だった。
◎ ◎
3年生に進級してからも相変わらずだった。
むしろ中学校生活の終わりが見えてきて、私は心躍りつつあった。
高校からはまた頑張るんだ。そんな気持ちが少しずつ湧き出てきていた。
そんな中、担任の先生がおそるおそるといった様子で私に一枚の紙を差し出した。
その紙は、たしか「修学旅行実施要項」みたいなやつだったと思う。
要は、今年は何月何日にどこそこへ修学旅行に出かけますよ、みたいなお知らせの紙。
紙の下半分は同意書になっていて、子どもを修学旅行に行かせることについて同意するかどうか保護者が記入するかたちになっていた。
「すごく良い経験になると思うし、クラスのみんなもあなたと一緒に行きたいと思ってると思うんだ。無理はしなくてもいいんだけど・・・いっしょに行こう。」
先生はそんなことを言っていた。
◎ ◎
正気か?と思った。
逆になんで行けると思っているんだろう。心底不思議だった。
無理はしなくてもいいと言われればもちろん行かないし、たぶん無理をしたところで、行けない。
先生には本当に申し訳ないのだけれど、後にも先にも何の迷いも生じなかった。
修学旅行というイベントや言葉そのものは、もはや他人事。
絶対に、絶対に、絶対に行きたくない。私の心は決まっていた。
でも、そこからはもうドロドロと地獄のような攻防が続いてしまった。
お知らせの紙は親に見せる前に捨てたはずだったが、なぜか家の冷蔵庫に貼ってあった。
お母さんは何も言わなかった。
お父さんは「え、同意書まだ出してないの?」とぼそっと言っていた。
提出期限を過ぎても、ずっと貼られたまんま。
しばらく冷蔵庫に近づけなかった。
さらに、家にファックスが毎日届くようになった。
クラスメイトからの「一緒に行こうよ」「待ってるよ」のメッセージ。
日替わりでいろんな子からメッセージが届いた。
正直、声も顔も思い出せないし、名前を見ても「そんな子いたっけ?」と思うほどだった。
◎ ◎
担任もめげない。めげないったらめげない。
毎日毎日保健室までやってきて、修学旅行の楽しさをプレゼンした。ウザかった。
冷静に考えてみてよ。
自分以外はみんな仲良くて何年もの付き合いがあって。
その中にひとりでぽんと入って。
慣れない場所で。慣れないことをして。
3日間もずっと一緒に?
無理でしょ。
私はそんなにおかしいことを言っているのだろうか・・・
修学旅行ってたしかに一大イベントかもしれないし、中学校生活の中でいちばんの思い出は修学旅行です、なーんて人もいるだろうけど。
私は嫌だ。行きたくない。行かない。
結局、ちゃんと行かなかった。
なんなら修学旅行の3日前くらいから学校を休んだ。部屋から出なかった。
修学旅行プレッシャーがなければ休まずに済んだのに。悔しい。
めっちゃ家の電話鳴ってたし、ファックスカタカタいってたけど。
◎ ◎
すごい大変だった。
修学旅行に行くのは普通なのかもしれない。
普段教室に行ってなくても、修学旅行だったら行けると思われるのは普通なのかもしれない。
でも私にとっては全然普通じゃなかった。
あまりにもその「普通」が強すぎて、ひとりで戦うには骨の折れる相手だったけど、うまくかわすことができたので良かった。
大人になってからたまに修学旅行トークに入れなくて気まずい思いをすることはあるけど、まったく後悔していない。
きっと熱意ある担任の力が強く働いていたのだろうけれど、クラスのみんなが旅行先でお菓子を買ってきてくれた。
おいしかった。ありがとう。
これが私の修学旅行の思い出。これもこれでアリだろう。
修学旅行が嫌な思い出にならなかった。これで万々歳ではないか。