私の好きなことの一つに読書がある。フィクションやエッセイ、自己啓発本からマンガまでさまざまな本に興味があり、読みたいものは日々増えていく一方。好きな作家は何人もいるし、お気に入りの本は何冊もあって絞れない。最近は、本を衝動買いしないように自制している。

小さい頃から、私は本が好きだったらしい。寝る前に絵本の読み聞かせをするよう母にせがむのも、ほぼ毎日のことだったそうだ。読み聞かせをしてもらいすぎて本の内容を覚えてもなお、「この絵本を読んで」と言っていたらしい。

絵本にまつわる私のエピソードで好きなものがある。私には2歳年下の妹がいるのだが、妹が泣き喚いているなか、私は母に読み聞かせを頼んだ。「泣いてるから、絵本を読んでも聞こえないよ」と母に言われても、「いいから、読んで」と引かなかったそうだ。私の諦めの悪さは、そのころからすでに存在感抜群だったわけだ。

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 性格のことはさておき、私はあのころから21歳になった今まで、たくさんの本を読んできた。読まなければならないと思って読んだことは、ほとんどない。読みたいと思って、読んでいる。エッセイを読むようになって気が付いたのだが、私は、文章、もっと言うと活字に触れるのが好きだ。

そして、本という物質そのものも好き。厚みや重み、装幀も含めて、一冊一冊の本がとても愛おしく感じる。表紙を眺めているだけで、幸せな気持ちになれる。ページを捲るときに紙を感じられるのと、捲る音も好きなので、いつまで経っても電子書籍を利用できそうにない。

2年前のこと。大学に入って、授業や部活で忙しくなった。自分よりもレベルの高い大学に入ったので、当然ながら周りの子達がすごい。天才的なセンスの持ち主や血の滲むような努力を重ねてきたんだろうなという子しかいない。置いていかれないようにと頑張る中で、いつしか本を読みたいという気持ちがなくなっていった。終いには、活字を見ることが億劫になってしまった。

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次第に何事にも気力がなくなってしまい、病院を受診したところ、うつ病と診断された。そして私は、大学1年の後期から1年間、休学した。これが、私の人生初の「逃げ」だった。

休学し始めたころは、睡眠が1日のほとんどを占めていた。食欲もやる気もなく泣いてばかりで、とてもじゃないが本を読む余裕はなかった。本というワードすら頭に浮かばない状態。毎日生きていくのが面倒だと感じることも少なくなかったし、ずっとこのままなのかもしれないと絶望感を覚えることもしばしば。

それから、通院と薬の服用を続けながら、少しずつ睡眠の時間を減らし、半年が経つころには大体の日常を取り戻せていた。精神状態も少しではあるが安定してきていた。それでもまだ、本を読みたいとは思えなかった。

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 復学する少し前に、ようやく活字に触れたいと思うようになった。そして、気が付いた。本を読みたいと思えるかどうかが、私の心のバロメーターなのだと。読みたいと思わなくなったら、逃げた方がいいということも。

2年前は、たまたま、休学という形で逃げたけれど、それだけが「逃げ」ではない。頑張りすぎるのをやめることや自分を縛っているものから離れるのも、肯定されるべき「逃げ」だと思う。

今、何かしらと闘っている人に伝えたい。逃げることは、自分を守ることでもあるということ。逃げるとき、それが自分以外の人に関係することだったり、逃げた経験が少なかったりすればするほど、抵抗感がある。なんだか、悪いことをしているようで、いたたまれない気持ちになる。私は、そうだった。それでも、私が私を守るには逃げることが必要だったと断言できる。

部活の先輩から言われた言葉で、とても印象に残っているものがある。「自分のことは自分でしか守れないから、大事にしてあげてね」。逃げることで、自分を守れるのなら、逃げればいい。そして、回復したらまた新たな闘いに挑めばいい。このエッセイが誰かに届きますようにと願って、私も、時に逃げながら闘っていきたい。