格闘技やアメリカンフットボールは身体接触の激しいスポーツ。プレイヤーじゃない限りあまりイメージが湧かないかもしれないが、サッカーも怪我を伴うことがあるくらいぶつかり合っている。

私は小学生の時に男子に混じってサッカーボールを追いかけていた。そして、身体が胸にぶつかることで、飛び上がるくらいの痛みを感じたことを覚えている。それは、第二次性徴をむかえつつあったための胸の張りのせいだと思うが、一生この痛みに耐えなければならないのかと大いに悩んだ私は、小学校高学年に上がると同時にボールを追いかけることをやめた。

自分の身体を守るために逃げ出した思い出はこれだけではない。

膨らんだ胸を値定めるように見てくる繁華街のスカウトから。個室に連れ込んで膨らんだ性器を押し付けてくる酔っ払った異性から。会社の打ち上げで自身の性体験を自慢げに話す上司から。朝のラッシュの混雑に紛れて下半身を触ってくる見えない手から。

数えればいとまがない。逃げてばかりの人生だ。

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以前、修士論文を執筆するためのインタビューに参加してほしいと頼まれたことがあった。その執筆者は、痴漢に関する意識調査を行なっており、女性のあらゆるハラスメントに対する意識が高まりつつあると言われている言説に疑問を持っていた。

インタビュー後に話を聞くと、彼女が睨んだ通り、ジェンダー研究を大学でしている人間でも、痴漢に遭うと決して積極的に行動ができていない結果を得つつあるとのことだった。

どうやら、逃げているのは私だけではないようだ。

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私たちは学校でも、あらゆる年上の人からも、「性被害に遭ったら何もしないで逃げなさい」と言われて育ってきた。

それはあらゆるハラスメントが社会問題として声高にメディアに取り上げられるようになった頃から、より強まったように感じる。

スポーツから、勉強から、夢から逃げるな。それは苦しい道の先にあるのだから。

性被害からは逃げろ。考える前にとにかく逃げろ。

ひたすらインプットだけさせられて、肝心な「なぜ」を教えてもらっていない。

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きっと、身体特徴の性差を考えて、性被害からは「逃げてよいこと」なのだろう。

説明をするまでもない当たり前のこと。

あなたは弱い。彼は強い。そんなの考えなくてもわかるでしょ…、きっとそういうこと。

でもこれは、説明をされていないがゆえに、全てのジェンダーは結果論ばかりを気にするように教育されているとも言える。

性被害は「どうして」起こるのかを問うことはせず、ひたすら起こった後を気にしている。

そもそも「どうして」性的なハラスメントは起こるのか。社会構造に問題はないのか。それを文化と言うのであれば、紐解く必要はないのだろうか。

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最近、「勇気ある撤退」という言葉があることを知った。

それは、明らかに実を結ばない、そもそも実施が不可能な調査や研究より身を引くことを意味するそうだ。

ここには「どうして」をつぶさに考え抜いた後に選ぶ「逃げ」の意味も含まれているように感じる。

私がいままで身体に関わることで逃げていたことは、この「勇気ある撤退」とは違う。

幼い頃から何百回と投げかけられた性差を、呼吸をするのと同じくらい無意識にインプットした結果。

もっと問う必要があるのではないのか。

私たちは「どうして」逃げなければならないのか。

その「どうして」の答えの先にある行動が「逃げ」であっても、それは今までの逃げとは違う。

きっとその時初めて「勇気ある撤退」と呼べるようになるのだろう。