中学生の頃、教室と学校、そして「中学生」であるから私は逃げた。

小学生の時は自分が不登校になるとは全く思っていなかったし、中学に進学にした当初はむしろ張り切って委員長に立候補なんかしたりもしていた。

結局委員長には選ばれなかったけれど、小学校でやっていた吹奏楽を続けるつもりで部活にも入った。私よりもその中学校に通っていた姉や同じ小学校から進学した他の子達のように、3年間何事もなく通い続けるのだろうと。

きっかけがなんだったのかは思い出せない。こんなことを言うのは本当に良くないけれど例えばいじめなどの明確な理由があれば、それが免罪符になってくれるのかもしれないけれど、誰も理解してくれなかったし、自分でもどうして学校にいけないのかわからなかった。

ただ逃げた。中学生であることから、当たり前に課せられた役割から。

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 その時、よく考えていたのは「どうしてただ生きているだけでは許してもらえないんだろう」ということだった。他の子と同じように制服を着て、毎日同じ時間に学校へ行き、勉強や部活をする。それが、今の自分がするべきで望まれていることだとはわかっている。ただ、どうしてそれが「絶対」なのかはわからなかった。

今なら、二度と帰ってこない学生時代を決められたルールの中で同世代と過ごすことは、その時しかできないし、そこにしかない学びがあるという意味があるのを知っている。その当時に「やるべきこと」をしっかりやってきた人、その人が持っている積み重ねたものとの違いを感じて、落ち込んでしまうこともある。

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けれど、私はやっぱりあの時逃げてよかったと思っている。

理由は私の中に「逃げる」という選択肢ができたからだ。「逃げる」という選択肢があると、例え本当に逃げなかったとしても、いざとなったら…と思える。

「逃げてもいい」という言葉は私にとって、世界がもっともっと広くて「ここだけではない」ことを思い出させてくれるパスワードのようだ。

そして、もう一つは辛い思いをすればその分誰かに優しくなれると考えられるようになったことだ。

自分が逃げたことで、親を悲しませてしまったことへの罪悪感をすり替えているだけかもしれないけれど、中学生の頃からずっと、いつか自分が大人になった時に周りに学校に行きたくないという子がいたら、自分が今感じていることや経験が何か役に立てるかもしれないと考えていた。

その考えが下地になって、何か辛いことや悔しいことがあった時に、「この経験がいつか誰かの役に立つかもしれない」と思うことで、気持ちを切り替えて乗り越えることができた。

いつしか自分という人間にとって大事な基盤となっているこの考え方は、「この逃避を無駄にしない」と布団の中で息をひそめてひっそり決意をしてくれた中学生の自分のおかげだ。学校以外にも世界はあるということ、自らはみ出し者になってみることを、あの時の自分が身をもって試してみてくれたからこそ、逃げてしまいたい人にも、はみ出し者にも、当たり前が当たり前にできない人にも、完璧にではないけれど気持ちに寄り添うことができる。

「逃げてもいいよ」と、誰かにいうことができる。

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10代の子が中学生としてやるべきこととされていたことは殆どできなかったけれど、当時の自分は「今の自分にとってやるべき」だと感じたことをいつかの自分の為にちゃんとやってくれた。それを無駄にしない為にも、私は逃げてよかったと言いたいし、逃げたことで起きた今につながるすべてを受け止めて責任を持ちたいと思っている。

中学生の頃の自分に今もしも会えるなら「逃げていいよ」と言うだろう。

「あとは私が何とかするから、きっとなんとかなるから」と。