いよいよ言われた。
「もう待てない」

私たちが立ち話をしていたその場所はまたしても台所だった。「台所ではシビアな話が繰り広げられがち」という傾向でもあるのだろうか。物理的な狭さ、心理的な隔離性、そもそもプライベートな空間である家の中の、更に心の秘めた内側を開くにふさわしい場所たる所以が、きっと何かあるんじゃないか?誰か心理学的に証明してるんじゃないですか?
そうでないと説明がつかない。

同じ話を二度までも夫に繰り返させて、なお同じように黙り込む私から顔を背ける夫の表情の傷つき方まで、半年前と同じだった。
台所の青白い蛍光灯のせいだろう。あれは人を病的にさせるから。
そうでも思わないと、私はプレッシャーに耐えられそうにない。

◎          ◎

夫は母国に帰りたがっている。
いや、より正確に言い表すならば、日本から離れたがっている。
夫は日本から地球を1/4周ほどした所からやってきた外国人だ。コロナパンデミックが、そしてロシアとウクライナ間で戦争が始まって以来、夫の母国までの航空券はバカ高い。

まだ東京の一地域にしか住んでいないというのに、彼は「日本にはずっとはいられない」と言う。もっと他の場所も見てみようよ、と思いつつ、夫の直感は正しいかもしれない、と認めている自分もいる。異国に暮らすという経験において、自分の抱える疑問を解決する定量化されたデータはまあどこにも落ちておらず、本能に頼るしかないことも多い。

日本で、仕事で関わる人を除けば、夫は私としか話をしていない。
私以外に関われる友人を作ることもできない。
母国に住む両親は高齢になってきている。
母国には友人もおり、きょうだいもいる。日本に来る前、夫は彼らと頻繁に連絡を取って、助けて感謝されたり、助けられて感謝したりしていた。
母国に帰れば、不規則な時間に勤務する必要もなくなる。9時-5時で働いて、残業はなく、たぶん今より給料も上がるだろう。日本に来るため、私と一緒に暮らすために、昇進のオファーを断ったと聞いた時はショックだった。

◎          ◎

日本時間の夜20時、「ポロロン♪」と鳴る彼の社内SNSの音を私は憎んでいる。夫は母国の企業に籍を置き、日本でリモートワークをしている。勤務時間を母国のタイムゾーンに合わせる必要はなく、日本の日中に8時間働けばいい契約になっている。それでも彼は私と違って、夜20時に仕事をすることを厭わない。きっと有能かつ献身的なのだ。向こうでは太陽はまだ高い盛りで、一番活発な時間帯だ。夫は精力的に、自分の作ったシステムについて同僚に説明をする。たっぷり2時間弱をかけて。日本語ではなく、母国語で、流暢に。うるさいくらいに、はっきりと。ほんの1時間弱の残業をしただけで疲れ切り、ぜえぜえ息を切らして帰宅してきた私に、わき目も振らず。

彼の生活と私の生活の間に、無視できない「ずれ」がどんどん生まれてきている、誤魔化しようもなく。
彼がまだまどろんでいる間に私は家を出て仕事に行く。彼がまだ仕事している間に私は帰宅する。

彼の母国との本来の時差を考えれば、この程度のずれはまだ生やさしい。

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私も働いている身だ。ようやく今の職場で経験を積み、少しずつ、本当に少しずつではあるが、上司から信頼を得て、職権を委譲され、できる範囲も広がってきた。それを重荷とだけ思わず、嬉しいことと思えるような心の器も、これもまた少しずつ、ようやく身についてきた。昨日今日で備わることではない。失敗だらけ、知らないことだらけの中、決して高くない賃金で生活を凌ぎながら、やっとその境地にたどり着いた。そのフェーズだって登山に例えれば二合目とか三合目とか、正直「やっとスタートライン」レベルの段階なのだ。

夫の希望を叶えようとするならば、私はその人生の蓄積をいったん全て投げ出さなければならない。
もちろん、実際全てが無駄になるわけではなかろうが、私の今の体感としては「全部、水の泡」なのだ。
しかし、今私が夫に強いていることも、「水の泡」の前借りのようなことだ。だから、私だけが駄々をこねる権利があるとは思っていない。

辞めるべきなのだ、私が、今の仕事を。
どう考えても、その結論にしか至らない。
だけど、決断に踏み切ることができない。
これは夫婦生活に害なすエゴだろうか?

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「仕事と私、どっちが大事なの?」
令和も5年となっては陳腐化したトレンディドラマの問いが聞こえてくるようだ。これがどれほどの愚問か、今私にはよくわかる。どっちも大事に決まっているではないか。だから困るんじゃないか。今の仕事を辞めた先にある私の人生は何だ?誰も保証してくれない、それは人生の伴侶である夫でさえも。

夫もそれをわかっているのだ。だから、誰がどう見ても確率的に「私が仕事を辞めて日本を去って彼と共に彼の母国で再出発すべき」という答えしか残らない問いに対して、考える猶予を与えてくれていたのだ。しかしその猶予ももう使い果たされたらしい。

どうすればいい?
嫌だ、まだ答えを出したくない。
人生が無駄になるのが、怖い。
今現在進行形で夫の人生を無駄にしているかもしれない私が言えることではないとしても、怖いものは、怖い。