私の結婚記念日には、二つの歴史がある。一つは、旦那との出会い。もう一つは、両親の離婚。

初めてデートした日の1年後、私と旦那は婚姻届を提出した。偶然にも、私の両親が離婚した日と同じだと知ったのは、届と合わせて必要書類とされていた戸籍謄本を取り寄せた時だった。これからの人生を共に歩む男性を横に、ふと、我に返った。両親の姿を見て、あれだけ「結婚なんてしない」と決意したはずなのに。不覚にも、思いがけない道を進んでいる。

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物心がついたころから、父と母はよく喧嘩をしていた。洗面所の使い方が汚い。片付け方が雑。時間通りに出かける支度が終わっていない…。何かにつけて、互いに不満をぶつけていた。喧嘩するほど仲が良いとも言うし、実際、言い合いになっても途中で父が折れ、笑いながら謝るのがお決まり。

いつの間にか事態が収束していた。週末の夜はたいてい、家族そろって外食したし、長期休暇には旅行にも出かけた。喧嘩は絶えないが、普通の家庭と何も変わらない。信じていた。

ふたりの仲直りは年々、一筋縄ではいかなくなった。争いが一通り終わったと思いきや、母が再燃し、父を責め立てる。頻度も増えた。「もういい加減にして!」。私と妹は間を取り持とうとしたが、無力だった。「だって、お父さんが自分勝手だから」「お母さんが悪い」「あんたはどっちの味方なの」。ふたりとも、自分を正当化するばかりだった。お互い好きだから、一緒にいて幸せだから、結婚したんじゃないの。どうして傷つけ合うの。胸が痛んだし、幼心ながら結婚の意義を考えるようになった。

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「離婚したい」。母は時折、口にするようになった。半分冗談で、半分本気だったようだ。引き金となったのは、家業の倒産だった。私が中学2年生の時、祖父が経営し、両親が務める不動産会社が多額の借金を抱えた。母は役員を務め、父は新たに立ち上げた系列会社の社長を任されたところで、ふたりとも責任を負う立場にあった。八方ふさがりの状況に両親の仲はさらにこじれ、ついに籍を抜いた。

私と妹は母に引き取られ、新たな生活がスタートした。ひとり親世帯というだけで劣等感を抱いたし、経済的に厳しくなって将来に不安はあったものの、仲違いする両親と一緒にいなくていい安心感の方が勝った。「私は結婚しない、いやできないだろう」。同時に、心のどこかで諦めるようになった。一生を約束したはずの“契約”は脆く、思っている以上に簡単に破棄できてしまう。それなら、最初からしなければいい。歪んだ考えを抱いたまま高校生になった私は、年頃の女の子並みに恋愛感情を抱いたものの、深い関係を築けるほど男性を信じられなかった。いつか別れが来るという思い込みを、捨てられなかった。

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年を重ねるにつれ、友達が次々と結婚していった。最初は他人事でしかなかった。正確には、そう捉えるようにしていたのかもしれない。いつからか、うらやましいという感情が自分の中に生まれていた。何があっても味方でいてくれるパートナーがいて、居場所があるって、この上ない幸せではないか。20代後半にさしかかり、運命の出会いが訪れた。「この人なら一生添い遂げられる」。直感が働いた。

30歳になる今年、結婚して2回目の記念日を迎えた。あれだけ両親を軽蔑しておきながら、旦那と価値観や生活スタイルの違いから何度も口論になった。きつい言葉をぶつけては後悔した。やっぱり、不仲な両親に育てられた私は結婚に向いていない。何度も逃げたくなったし、ひとりで気楽に生きたくなった。

結婚が幸せとイコールになるとは限らない。幼い頃からの見解は変わらない。他者にかき乱される日々に、身も心もまだまだ精一杯だが、パートナーがいるおかげで、人との違いを受け入れられるようになった。自然と、自分の弱さもいとおしく思えるようになった。誰かと生きることでしか得られない幸福が、きっとあるのだ。大丈夫、私は選んだ道を正解にできている。