人生が楽しくなって、10年経った。高校生までのわたし、毎日が全然楽しくなかった。

多少の楽しいことはあったけど、望んでもいないスケジュールに従って、話の合わないクラスメイトと過ごさなければいけない時間がベースにあったから、その頃は「人生楽しいなあ」なんて今みたいに思うことは決してなかった。ターニングポイントはおそらく、自分にとって苦手なものや不要なものから自発的に逃げられるようになったことなのだと思う。

というわけで、大きな困難や苦労から逃れた経験があるわけじゃないけれど、わたしは現在進行形で、自分を取り巻く小さな「嫌だな〜」というものごとから逃げ続けている。それが当たり前になりすぎて、もはや逃げている感覚もなくなって、だいぶ逃げが板についてきたこの頃だ。

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おそらく大体の人は大学生になってから「こんなに自由に過ごしていいんだ!」と驚きつつ自由を謳歌して、少ししたら社会に吸い込まれていき、ああ学生の頃はなんて自由だったんだろうと時々振り返っているんじゃないだろうか。

わたしも同じように社会に参入し会社員をしているけれど、バレない程度に不真面目だ、と自分を客観的に見てつくづく思う。本当に嫌なことは網目をくぐるように回避したり、他の楽しいことをつくって気持ちのバランスを取ったり、やれることはいろいろある。

 “自分の心が「嫌」って言ってるみたいだぞ”と感じることに対して、案外素直に行動しても大丈夫なのかも?と気づいてからが、楽しい人生の始まりだったのだと思う(本当は、雨の日には会社に行かないとか、眠い時には眠気から逃げずにおとなしく寝るとか、もっともっと思案の余地なくストレートに生きられたら最高だなとも思っているが、バランスも肝心だ)。

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そういう振る舞いについて、もしかすると「ずるい」と言う人もいるかもしれない。でも、よく考えてみて。自分に課されていると思っているhave to do、本当に必要なことだろうか?そもそも誰が決めたことなのだろうか?誰がジャッジするのだろうか?

それから逃げて、誰かをものすごく不幸にするだろうか?たぶん大体の答えは「誰でもない」し、「NO」だ。

何が自分にとって最良かの感覚は人によって違うから、まずはその見極めを上手にならなくてはいけない。たとえば「逃げ」のせいで「仕事そんなにできるわけじゃないよね」というイメージがついてしまったとしても、わたしにとっては若干自分の不利益になるだけで誰も困らせていないのでOK。逆に嫌なことを我慢してでも自分のイメージを固守する方が優先になるのだとしたら、自分にとっての幸福感がそちらの方が大きいということだから、それはそれで間違っていない。

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街ゆく人を見ていてよく思う。みんな生きづらそうだし、我慢していることが多すぎるんじゃないか。誰かの機嫌を損ねることを気にしているのだとしたら、その前に自分のご機嫌をとってあげた方がいい。話はそれからだ!

わたしが信条にしていることは、「やりたいことをやる」ではなくて「やりたくないことをやらない」だ。やりたいことしかやらないと選択肢って実はだいぶ狭まるけど、やりたくないことだけを排していると意外な出会いがあったりしてどんどん楽しいことが舞い込んできて良い。これはライフハックなので、良かったら真似してみてください。