大学生のときの恋人とのデートは、かなりの確率で本屋さんだった。その中でも断トツで多かったのが、梅田の蔦屋書店。ちょうど私たちが出会った頃にオープンし、2人ではじめて蔦屋書店に行った日に付き合った。

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今思い返しても、あの頃の私は物語の中にいるような気がする。同じ学科の無口な彼。そんな私たちが出会ったきっかけは、彼の「それ、何読んでるの?」だった。私は満員電車が苦手で、みんなが乗るより1本早い電車で大学に通っていた。授業までの時間、私は教室の前のベンチで本を読んで過ごした。家から大学まではものすごく遠かったが、電車でたくさん本を読めるのも悪くないな、と思った。

彼に話しかけられたとき読んでいたのは、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』。母が無類のハルキストで、実家には村上春樹の本が全てそろっていた。大学生になったのを機に、片っ端から読んでいた時。ろくに話したこともない人からの唐突な質問だったが、私は素直に本のタイトルを伝えた。

「本、好きなの?」「うん。今はこれ。」彼が出してきたのは三浦しをんの『光』だったと思う。「あ、三浦しをん。この前読んだな、なんだっけ、えっと、『きみはポラリス』」「これまた癖のあるのを。」と彼は笑った。『きみはポラリス』は大学の書籍コーナーで「最強の恋愛小説」と書かれていた。「これは三浦しをんっぽくないってこと?」「まぁそうだね。もっと軽くて色々…何冊か持ってるけど、読む?」「あ、いいの?読みたい。」「俺も村上春樹、読んでみたいと思ってたんやけど、どれから始めればいいか…って思って。」「あ、じゃあ読みやすいの、持ってくるよ。」こうやって、初めての会話から、おすすめ本の交換が始まった。

そこからの流れは想像するに易い。40人くらいの学科で、私たちは明らかに仲が良かった。何回も2人で出かけ(デートとは呼ばなかった)、何冊もの本を交換して読んだ。そんな私たちにとっての大ニュースが、「大阪に蔦屋書店オープン」。「はよ行きたいなぁ」「楽しみやなぁ」が口癖になっていた。

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ついに蔦屋書店へ。この日は、2人とも口にこそしなかったが、まぎれもなく「デート」だった。いつもほぼ割り勘だったランチ代を、当然のふりをして彼が全部出した。いつもと違った。初めて足を踏み入れたそこは、今まで知っていた本屋とは全く違う、落ち着いた照明、カーブを描く本棚、まとまりがあるような無いような配置、すべてが新鮮でわくわくした。

本好きにはたまらないテーマパーク、私たちは目に入ったものすべてにコメントをする勢いで話し、笑い、歩き、気づけば夕方になっていた。「なんか足疲れたね。」と時計をみて驚く。「えっと、ここに入ったのが、12時すぎ…。…時空歪んだ?」この日から、私たちにとって蔦屋書店は「時空が歪んでいる場所」となった。「まぁでもさすがに疲れたな。今日はこのくらいにして、また絶対来よう。」ちなみにまだこの段階では付き合っていない。

どう考えても、向こうも同じ気持ちだった。一緒にいたい。この人といると幸せ。好きって言えたらいいのに。好きって言ってくれたらいいのに。「帰ろっか。」駅の改札へ向かう。が、改札の1つ上の階で立ち止まる。「あの、さ、好き、です。付き合ってほしい。」笑った。「おそいわ!」遅いです。でも、あの頃よりずいぶん大人になった今でも、この時の嬉しさは色あせない。

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私にとって本は「ひとりでもさみしくないもの」だった。友だち付き合いが苦手だった私を、本が何度も救ってくれた。本を読んでいると、本の世界の人が(ときに人ではなかったが)いるからさみしくなかった。でも彼と出会って、本は「誰かとつながることができるもの」にもなった。時空の歪んだあの空間で、本に囲まれて過ごしたあの時間を、私は忘れない。