私はなかなか寝付けない夜、現代っ子らしくスマホでSNS巡回やネットサーフィンにいそしむ。高校の女子サッカー部時代に、面倒くさがって日焼け止めをつけずに何時間も炎天下の日差しを浴びたという蛮行の結果、最近しみが目立つようになってきたのだ。

よって「しみ ほくろ 除去」「しみ レーザー」などと検索しては、お財布事情と美意識とちょっとある美容整形への躊躇を天秤にかけては、眠れぬ夜に拍車をかけている。

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調べものをしているうちに、だんだんと横道にそれるのも現代っ子あるあるである。しみのレーザー除去を調べているうちに、むやみに美意識だけが高くなっていき、「美しくなるには」「可愛くなるには」とざっくばらんな欲を丸出しにして調べ、「石原ひとみ 垢ぬけた方法」「雰囲気美人 なりかた」などと右手親指と脳の一部をフル活用して検索はまだまだ続く。

そのうち「ダイエットは整形並みにきれいになれる」というサイトにたどり着き、「ダイエット ビフォーアフター」でヒットしたダイエット成功者の前後写真を見ているうちに、力尽きて寝落ちするというのがいつも流れなのだ@0時35分。

私は根っからのチキン野郎で万年金欠病である。痛いのは苦手だし、怖いのももっぱらごめん、そしてそもそもお金がない。だからどんなにおなかの三段腹が立派になっても、美容整形の脂肪吸引は考えなかった。そして、意地っ張りな右目がアイプチ歴10数年を経て、頑固に癖がつかなくても二重埋没をする勇気もお金もなかった。

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きれいになることへのあこがれは勿論ある。でも、美容整形の諸先輩方の術後やダウンタイムの写真を見るたびに、その扉を開けることは私にはできないとおびえてしまうのだ。そんな臆病者の自分と29年も付き合っていれば、自分でも容易に予測できる。

私は結局しみをレーザー消去できずに、いい感じのコンシーラーを見つけて課金するのだろうということを。きれいになりたくても、美容整形はやっぱり私にとっては、とても遠い存在なのである。

でも、そんな眠れぬ夜に検索を続けているとふとある思いがよぎることがある。

「私ってなんでそもそもこんなにきれいになりたいんだっけ」「誰のためにこんなにもきれいになろうとしているんだろう」、そして「なんか疲れたな」、と。

その思いの答えを私は知っているような気がする。

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「ダイエットは整形並みにきれいになれる」というのは本当である。何を隠そう私は、21歳のときに43キロであった体重が、薬の副作用で24キロ太って、67キロになったという過去を持つ。いわばブスになった、つまり「逆整形」をした身なのである。43キロの私と67キロの私が違うかって?ええ、それはもう、違いますよ、周りの目が。

21歳、43キロの私はそりゃもうモテた。自分で言うのも厚かましいけれど、私がそれまでの人生史上一番美しかったころの話だ。顔は小さく目は大きく二重かつ黒目がちで、XSサイズのショートパンツからは細い足が伸びている。胸はあるのにくびれは美しく曲線を描き、二の腕はほっそりとしている。

毎晩違う男性に飲みに誘われたり、写真撮ろうと声をかけられたり、「〇〇学部の〇〇科に板野友美に激似な人がいる」と噂を聞きつけた他学部の男子生徒が会いに来たり、街を歩けばナンパと勧誘の嵐、タクシーに乗れば意気投合した運ちゃんから「お代はいらないよ」とサービスされ、学食で本を読んでいるだけで「知的な一面もあるんだね」とギャップ萌えを誘った。まるで世界の中心は自分のように、自信にあふれ、自分が好きで、快活にすべてを笑い飛ばしていた。

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それに比べて67キロはどうだ。顔はホームベースのようになり、二重顎。まぶたの分厚い脂肪で二重幅は消え、下半身太りがひどくパンツのサイズは3L。胸と二の腕はだらしなく垂れ、くびれは消滅三段腹。

飲み会に行っても男性から興味も持たれず、名前も覚えてもらえず。太ったことで写真に写ることすら嫌になり、大学では気配を消した。その間街を歩いて声をかけられたのは一度きりで、それも「私にデブなあなたをプロデュースさせてください!」といった意味の分からないものだった。タクシーは当たり前だけど満額支払い、学食の隅のほうで本を読んでいても「陰気な奴そう」と思われるだけだった。

陰気だったのだ、実際に。自分のことが大嫌いだった。外見が整形並みに変わっただけでなく、周囲からの扱いが変わったことにより、中身も整形並みに変わってしまったのだった。

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ルッキズム:「外見至上主義、外見でその価値をつけること」。

その言葉が市民権を得るようになってからいくばかり経つだろう。43キロの私も、67キロの私も、「他人から認められる・承認される」というフィルターを通してしか自分を見られなかった。「良い」とされる価値をつけられた43キロの私も、「悪い」とされる価値をつけられた67キロの私も、他人の承認に依存していたのである。

ルッキズム自体を安易に否定するつもりもないし、ルッキズムがあることを否定するつもりもない。「外見は中身の一番外側」という言葉には一理あると思うし、最初の視覚的印象というのはやはりでかい。

でも、例えば寝付きが悪い夜に、美容のことを調べていて、「二重にならなければ私は誰からも愛されない」とか「私が愛されないのは私がブスだからだ」という、自分をそのまま愛せないこと/自分は自分だと認められないこと/自分は自分でまあいいやと諦められないことを、もし外見のせいにしてしまって、悲しくて眠れなくなってしまったら。

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そして美容整形を調べ始めてしまったら。私もそんな夜もあるし、あなたにもそんな夜はあるかもしれない。そんな時、きっと私たちは他人の承認に依存して、そしてそれに振り回されることに疲れてしまっている。

そんなときは、スマホを消してもう寝てしまおう。そして朝起きてから、本当に「自分が自分のために」美容整形したいのか考えても遅くないんじゃないかな。
まあ、美容整形しなくても、しても、十分美しいのだけれどもね、私も、あなたも。