メイクをするために目元にぐっと力を込めた時にだけかすかに浮き出る、まぶたに埋め込まれた糸の結び目。
かがみを何度見ても美しいと思える自分の顔。中でも大好きな目の美しさは、整形によって手に入れたものだ。

◎          ◎

自分の顔は醜い、という気持ちから逃れられなくなったのは高校生の頃だった。
明確なきっかけがあったわけではなく、可愛い子とそうでない子に対する周囲の対応の差が理解できて、どうやら自分は「そうでない」側であるということまでわかってしまったのがその頃だったのだと思う。

プライドの高かった私は、どんな理由であれ蔑ろにされることが怖かった。
かがみを見ては可愛い子と自分の差を意識するばかりで、「正解」の顔と自分の顔での間違い探しは毎日のように続いた。
この差を埋めるには、と考えたときにまず浮かんだのはメイクだった。

◎          ◎

ティーン雑誌の「スクールメイク特集」的なページを参考にして、薬局でコンシーラーと色付きのリップを買った。
メイク経験がほぼ0だったこともあって、それらが自分のコンプレックスをまるっと解消してくれる魔法のアイテムのように思われてドキドキしたが、現実はそうではなかった。

かがみに映ったのは、凹凸までは隠しきれなかったニキビが顔を覆う、唇だけがつやつやと美しい私だった。絶望した。
今思うとその程度で劇的に見た目が変わるわけがないのは当たり前だと思えるのだけど、当時としては最終手段と認識していたメイクを以ってしても、私はこれからずっと「そうでない」側から抜け出せないのだ、と暗い気持ちになった。

◎          ◎

やっと見つかった私にとっての魔法のアイテムは、アイテープだった。
同じように容姿に悩んでいた友人がその存在と使い方を教えてくれた。
初めて二重を作ってかがみを見たとき、やっと自分の顔を可愛いと思えた。この顔で生きていきたいと思った。

若干話題が逸れるが、「一重でも可愛い子はたくさんいる」というのは一重・奥二重にコンプレックスを持つ子は数えきれないほど言われたと思う。
例に漏れず私も経験があるが、そんなことは言われずともわかっている。何なら私の好きなアイドルは一重で最高のビジュアルを今日も保っている。

◎          ◎

私は、「私の顔」について悩み、語っているのだ。「一重で可愛い子」の話は今していない。「私が可愛いと思える私の顔」には二重が必要だったのだ。

整形をして、かがみを見るたび「私の顔って可愛い!」と思えるようになった。自分が可愛いから、その可愛さをもっと引き出すためのメイクを楽しんだり、適度に運動するようになったりした。
可愛い自分を大切にしようと思った。

整形をせずとも自分を大切にできる人はいるだろうし、それに越したことはないと思う。
だけど、私は整形をしたことで自分を大切にできるようになった。心から、整形してよかったと思う。