私は生まれつき、片方は二重、もう片方は一重のいわゆる雌雄眼と言われる目だ。
幼い頃からひどいアトピー持ちだった私は、一重側の瞼から頬にかけて肌がかぶれ、逆さまつげが眼に刺さり常に充血していた。でも、当時は外見に対しての興味が全くなく、コンプレックスを感じた事も小学校を卒業するまで一度も無かった。

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私の意識が変わったのは中学から高校生に上がる頃。化粧を覚え、他人の目線が気になる様になる年齢だ。
あの子は肌が汚い、あの子は化粧が下手くそ、あの子は可愛くてあの子はブス。そんな事が話題に上がってくる。そんな言葉に焦り化粧で誤魔化そうとする。アイプチで瞼のアトピーは悪化し、カラコンで更に充血した眼に自信を失う。

当時の整形は値段も敷居も高校生には高いものだった。
様々な美容外科のサイトや口コミをみては金額でため息をつき、失敗の噂を耳にすれば怖くなり勇気が出なかった。大学へ進学後もその意識は変わらず、メイク前とメイク後の顔の違いを他人に指摘されてもそれをネタにして明るく振る舞う事で自分を守るしか無かった。コンプレックスを必死に隠していた。

そんな私が整形に踏み切ろう!と決意したのは、とあるカメラマンにスカウトされた事がキッカケだ。外見に自信がないという私に、君は本当に美しい、自信を持って!と真っ直ぐな言葉をかけてくれた。

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そしてその写真に映る自分を見た瞬間、あぁこれが私の本当の姿だと感じたのだ。
この姿の自分が好きだ!この姿の私に戻らなければ!そう直感的に感じた瞬間、今まで自分の中にあったストッパーの様なものが外れる音がした。気付いた時にはスマホの画面には美容外科の予約完了の文字が表示されていた。
写真から理想の自分の姿を見つけ、整形後の自分が本来の自分だと直感的に感じたのだ。少し変わったキッカケだったと思うが、その選択は間違えてなかったと今でも断言できる。

そんな衝動的に任せて受けた二重整形。辛いダウンタイムを乗り越えた後の変化は凄まじいものだった。
それは単なる外見ではなく、精神的、肉体的なストレスの解放による変化だ。
アイプチをしない瞼は綺麗になり、逆さまつげが改善された事により充血も痒みもない綺麗な眼になった。そしてなにより左右大きさの揃った目は化粧がしやすく視界も良好だ。
どんな場面でも、アイプチが外れる心配もない。それだけでなんとストレスの無い事か!

もちろん周りから整形について言われる事もあった。しかし、今までのメイクした状態と今、一体何が違うというのか。何か変化があれば否定する人は必ず現れる。
本来の自分を取り戻し、コンプレックスで濁った自分と別れを告げた私は最強だ。周りが何と言おうとへっちゃらだ。

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顔に自信が付くと次は他の部分にも目が向く様になる。食事に気をつける様になり、軽い運動もする様になった。
自然にセルフケアする様になり、アトピーは完治。気づいたら周りから美人だね。と言ってもらえる様になっていた。
過去の私にとっては外見を褒められるなんて考えられない事だった。私の世界は整形によって180度変わったのだ。

ただ、今になって整形について思う事がある。私が雌雄眼でなく、両目が綺麗に揃った一重だったら整形していただろうか?
両目が腫れて一重になった時、同じ大きさになった自分の眼を見て、切れ目で綺麗だなと思った事がある。両目とも一重だったら良かったのにと本気で思った。

しかし片方は元々二重。一重を二重にする事は簡単だが、二重を綺麗な一重にする事は、不可能では無いがとても難しい。
だから私は二重を選んだだけなんだろう。

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実は先日、高校生になる姪っ子から二重整形を受けたという報告がきた。
彼女はとても綺麗な一重瞼で、明るく無邪気に笑う子だった。そんな彼女を私はとても可愛く、そしてその綺麗な目を羨ましいと感じていた。しかし中学へ進学した頃から以前の明るさは失われどこか憂鬱な雰囲気を纏う様になっていた。何があったのだろう?と気になっていたそんな時に彼女から二重にしたいという相談を受けたのだ。

私は、肉体の変化が激しい若いうちの整形はあまりオススメ出来ない事、そして貴方の一重は美しいという個人的な意見を交えつつ、それでも本気でやりたいのなら自分の気持ちを優先するべきだと伝えた。

彼女なりに悩み、二重整形をする事を選んだ様だ。

術後初めて会った時、彼女は少し照れくさそうな、でも自信に溢れた笑顔を見せてくれた。それは今までに無いくらい明るく、小さい頃に見せてくれた様な自然な笑顔だった。悩みから解放され本来の自分を手に入れたんだなと温かい気持ちで胸がいっぱいになった。

時代が変わればいわゆる世間の美の基準は変わっていくだろう。ただ、周りがいくら"これが美しさである"と提示しても結局それをどう捉えるかは本人の自由なのだ。

だからこそその選択を他者に押し付けたり、周りに流されて決断してしまってはいけない。どんな顔でも、どんな顔になったとしても自分の顔に満足し、心からそれを受け入れているのならそれがその人の本当の姿であり美しさなのだから。

根本の話をすればコンプレックスになる様な美の定義がある事自体が問題だ。それはとても根深く社会に浸透した呪いの様なものだ。

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今の二重整形の値段はとても安い、そして今の世の中は整形に対する理解もあり、ハードルは低くなっているだろう。
それは素晴らしい事なのかもしれない。しかし、美しさの定義を作り本来の美しさを否定する事はあってはならない。そしてその逆も然り、作られた美しさを否定する事もあってはならないのだ。

電車内を見れば整形や脱毛の広告に溢れている。二重で目がぱっちりで痩せたモデルばかり起用されている。でも、それが真の美しさでは無い。美しさとは千差万別なのだから。

それを知った上で、理解した上で、本来の笑顔を取り戻す選択肢の一つとして美容医療があるにすぎないのだ。

美醜の呪いを解くカギは自分の中にしかない。その事を忘れず、これからも自分の顔と上手に付き合って生きていきたい。