18歳の時、私は地元を出た。
私の人生最大の逃亡。それは生まれ育った街を出ることだった。
私が育った街は電車の止まる駅はなく、何をするのにも車がいる車社会で運転免許の持っていない子どもの足で行けるところなどそんなにない街で育った。
自分で言うのもなんだが、当時の私は全然今とは違っていた。
今よりもずっと太っていて、オシャレも興味がなくて、今よりずっと内気で、自己主張の弱い、そういう子どもだった。ちょっとクラスの中で目立たないくらいの。
閉鎖的な街の子どもの世界は狭いヒエラルキーで成り立っていて、そういう子は何かと損をすることがある。私の場合はそうだった。
いじられキャラというイジメとまではいかないポジションになってしまって、容姿のことを揶揄されたり嫌な目に合うことがよくあって、中学の少しの期間だけ学校に行けなくなったり。
中高と仲良くなった友達たちも、私がいないグループと遊ぶなと2時間説教する子だったり、逆に私が好きすぎてクラスで孤立させようと酷い噂を流す子だったり。
そんな悪いことがたくさんあって、人生が楽しいものではなかった。そして当時の私は漠然とこの街が悪いんだと思っていた。街が悪いからこんなに楽しくないことばかりで、苦しいことばかり続くんだと。
◎ ◎
けれどこの街が嫌いでもどこにも行けずにいた。変わらない環境を仕方ないと思っていた。
家族のことは好きだし、県内の大学に進学してこの街で就職して大人になるんだと何故か当たり前みたいに思っていた。
そんな中、高校3年生の夏の終わりに私は大学紹介の本をペラペラとめくり、私が当時進学希望を出していた大学と同じような学部が纏められていたページを見ていた。
そこにたまたま目についた大学があった。私が欲しい資格が取れる共学の大学。県内にその資格が取れる大学が女子大しかなくて共学を諦めていた私は、そこの所在地に私は目を離せなくなった。
「東京都」
考えもしなかった。けれど、何故か衝動的にここしかないと思った。
進学校を変えよう。ここに行こう。今しかない。進学で上京なんて普通じゃないか。
この街を、出て行こう。
そして殆どのクラスメイトが県内に進学する中で私だけ上京をすることになった。
親も先生も何故?と言った。高校3年の夏の終わりだったから余計に言われたが、私はもう「東京都」の3文字に頭を支配されて説得も聞く耳を持たなかった。周囲もさぞ驚いたことだろう。
結局私は無理を通して進学し、街を出た。
地元の友人の連絡は返さなくなって疎遠になった。
あの街から私は逃げ出したのだ。
◎ ◎
でも面白いことに嫌いで仕方なかった街を出て、大学に通いはじめて3ヶ月間、ひどいホームシックに悩んだ。そこで驚くほど痩せた。意外に、あんなに嫌いだったのに帰りたくなるんだなって殆ど着られなくなった洋服をみて思った。
それから私は私のために化粧を覚えて、服を買って、自分のためだけに可愛くなることを覚えた。進学した大学の学部がわりと集団というよりか個人プレーのような雰囲気だったのも居心地が良く、そんな大学生活の中でその後人生で一番仲良くなる友人とも出会った。
私は変わったと思う。性格も見た目も好みも在り方も。
もうあの街は嫌いでなくなった。離れてからやっと好きになれた。中高のクラスメイトはもう顔も殆ど覚えていない。
◎ ◎
乗り越えて強くなることも多分あると思う。
でもわりと本気で逃げることも乗り越えるぐらい労力がいることを私は知っている。
今から逃げようとしてる誰かへ、あなたに幸あらんことを。