営業職として仕事が行き詰まると、決まって向かう先は行きつけの六本木にある美容室だ。タイミングを見計らい意図して計画的に行くというより、気づいたら、そこにいるという方が正しいかもしれない。そこで待っているのは、いつも「犬塚さん」という男性ヘアスタイリストだ。
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「その方のメイクや雰囲気、コンサバなのかガーリー系なのか洋服、あとはよく靴を見て、ヘアスタイルを提案するんです」
「ヘアスタイルって、あくまでファッションの一部。なので、その方の性格などの印象やメイクの雰囲気などと合わせないと、お顔立ちや骨格、季節感だけを見て仕上げても、どこか違和感がでてしまうんですよね」
東京六本木のど真ん中にあるこの美容室に来る人は、やはり私のように「決まったヘアスタイルを求めて」というよりその時の気分などを交えた「完全おまかせオーダー」の常連客が多いらしい。注文型ではなく提案型だからといって、美容師の自己満に終始しない、男性美容師の目の前の顧客に対する観察や関与が、なんともプロの技だなといつも感心する。
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美容室で’’コミュニケーション”というと、施術中の美容師とのたわいのない会話を思い浮かべるが、こと犬塚さんに関しては、施術の仕上がりに対する徹底的なまでのこだわり。
施術前、着席してシャンプー台に行く前までの一瞬の洞察から、髪やヘアスタイルやこの美容室を訪れる常連客に関する(聴く:話す=8:2の)少量の会話をしながら黙々と進行される施術そのものだったり、なんといっても、いつ会ってもご機嫌に楽しく美容師としての仕事に努められている姿だ。
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本当は、キャリアパスも業務の幅も広いはずの一サラリーマンの私からすると、美容師として、何十年も同じ職の連続なはずなのに、いつも進化志向・顧客志向でより改善、満足してもらおうという心意気が、施術にも会話にも垣間見れる姿に毎回、素直に尊敬を覚える。
常連でも新規でも、「目の前の顧客に満足してもらう、期待以上の仕上がりにする、髪を切った後は少なくとも1か月間私生活をハッピーでいてもらう」など切り手としての胸の内に秘めるこだわりや青い炎がないと、ここまでこだわって何十年も毎日「志」事ができないだろうなと思うし、私なんてもう何年も通う常連客であるのに、行くたびに犬塚さんから「一期一会」のような大切にされている実感を感じている。
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そんないつものお気に入りの男性ヘアスタイリストに1時間ほど全身全霊を預け、施術が終わったころには、儀式のようにプロの仕事ぶりや熱い想い、それから自分では決して探しあてられなかった想像以上に完美な髪型、カリスマ美容師の手によって、自分の良さを引き立ててくれる新しい髪型でリセットされた自分の姿に背中を押され、また1か月間頑張ろうと思えている前向きな自分がいる。
そんなこんなで、美容室をでた後は、このまま誰かとバッタリ会いたい、直接地下鉄の駅に向かうのではなく、しばらくの間堂々と六本木の街を歩きたい気分になっている。髪を切った後、それは平日だろうが休日だろうが、東京の中心で主人公になった気分だ。