将来の夢はお医者さん。小学校の頃からそう言っていた。
医者の家系に生まれた私は、「医者になるために生まれてきた」、そういう信念が中学生の頃にはしっかり出来上がっていた。
そのためには日本一偏差値の高い学校にいかなければならないとか、青春よりも勉強を優先しなくちゃいけないとか。いつも頑張っていたと思う。
そして14歳の頃、「私の人生は誰のためのものなんだろう」と違和感を覚え、生きづらさを感じ始めた。簡単にいえば反抗期なのかもしれないけれど、反抗期では済まされないくらい生きる力をかけた戦いだった。
次第に「私は医者になるために生まれてきたんじゃない」と強い意志が生まれ、親や社会が決めたレールを生きることが本気で嫌になった。
とはいえ、14歳の小さな女の子。反抗できるほどのパワーもない。
私は「何も言わない」という最上級の抵抗をして、ひとり心を閉ざすようになった。
そんな生きづらさとともに10代の年月を過ごした。
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大学進学の際も、就職のときも、私には「やりたいこと」や夢がなかった。
お医者さんにだけはならないという意思があったくらいで、何もなかった。
いろんな人に出会ったり、いろんな体験をしたりしてもみつからない。
逃げたくて「夢は必要ない」論を研究したこともある。
そんな中で、就職してすぐにメンタルを崩した。
1か月で会社を辞めて、人生のどん底を体験した。
そんなときにひょんな縁からカウンセリングを受けることになり、半年間で生きづらさを克服することができた。
すごく幸運だった。
その体験からカウンセリングの力を感じ、自分もそんなサポートがしたいと思った。
そこから起業して活躍できるようになるのにそんなに時間はかからなかった。
私にとってそれが向いていて前のめりに惚れこめる天職だったから。
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ある時、クライアントさんに言われた。
「翔子さんは心のお医者さんみたいですね」。
たしかに~と、医療行為こそ用いないが、カウンセラーという仕事は心にメスをいれてその人の未来に光をともすお医者さんのような仕事なのかもしれない。
そのとき、私の14歳で一度死んだ夢が形をかえて現れた気がした。
私の使命は心の問題を解決すること。人に直接働きかけその人の未来を変える。
その点、私の夢はずっとお医者さんだったのかもしれない。
これからも形にとらわれず、WHATではなくWHYに沿って生きていきたい。