ロールモデル。最近よく聞く言葉だなと思う一方で、どこか屈折している私は決して明るくない感情も同時に抱いてしまう。
日本語だと「お手本となる人」といった意味合いだが、たとえば自分の理想とする働き方を実現していたり、書き手として成果を上げていたりするような人を見るたび、心の芯がぐらつく。憧れだけをまっすぐに向けたいはずなのに、その視線が若干歪んでいることに私は気づいている。もはや憧れなんていう澄んだ感情ではなく、どちらかと言えば嫉妬や劣等感に近いのだろう。
だからだろうか。「ロールモデルはいる?」と聞かれたら、すぐには答えられない。そもそも、未来のことを考えるのが苦手という我儘のような欠点もあるから、自分がこの先生きていくうえで指標となるような人物を見つけることそのものに、ほんのりとした抵抗感を覚えてしまうというのも否めない。
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とはいえ、ふとしたときに思い出すひとが1人いる。
私に、とある気づきと勇気を与えてくれたひとだ。
作詞家であり、作曲家であり、バンドマンでもあり、文筆家でもあり、会社経営者でもある。草鞋を何足も履いているようなひとだ。
生業としていることが私とは全く違うから「ロールモデル」と考えたことはあまりなかったものの、生きていくうえでの価値観に大きな影響をもたらしたひとであることは確かだ。
暗闇の中を不意にぽっと照らす、街灯のようなひとだと思っていた。そこに、嫉妬や劣等感といった黒い感情はない。
自分の道を灯してくれるひとならば、その生き様に胸を打たれたことがあるならば、それは立派な「ロールモデル」なんじゃないかと今さらながらに思った。
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彼が以前組んでいたバンドが、とある新人発掘コンテストで優勝したことがあった。今から10年前の話だ。
そのニュースを知った際に、何の気なしに彼らの曲を聴いた。「うわ、カッコいいな」とは思ったものの、あらゆる音楽に浸ることに愉しみを覚えていた当時の私はすぐに別のバンドの曲へと目移りしていった。
それから数年後、ひょんなことから彼が更新していたブログサイトにたどり着いた。
彼が紡ぐ文章のひとつひとつに、目をみはった。淡々とした筆致ではあるものの、心の深い所に言葉が心地よく着地していく。かと思えば、ぐさりと刺されることもある。はたまた、「生きろ」と声にならない声で励まされたこともある。
過去記事も全てさかのぼって読み返し、彼が社会の中で生きづらさを抱え続けていること、生きづらいままでも泥臭く走っていることを知った。バンドでは全ての楽曲の作詞作曲を担当していることも同時に知った。
この時に改めて全てのリリース曲をじっくりと聴き、社会に対する彼の訴えや叫びは一貫していることにも気づいた。荒々しいバンドサウンドそのものにも惹かれ、音源だけでは我慢できなくなり、ライブにも足繁く通うようになった。
あるライブのMCの中で彼が話していたことは、今でも忘れられない。
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みんなが夜に、どこか集まれる場所があるといいなとずっと思っていた。
だから自分は、小学生の頃、よく家出をしたり日が暮れてもずっと外にいて家に帰らなかったり、そんなことばかり繰り返していた。
今はインターネットが発達して、いつでもどこでも気軽につながれるようになったけれど、それでも、こういう空間には勝てないんじゃないだろうか。
自分は今、ここに立って、自分が作ったものを歌って、好きなことをやっているけれど、みんなはやれている?
本当はやりたいことがあるけれど、やりたくないことを重ねないといけない夜があるのかもしれない。
やればいいと思う。
安易だし安直だし、無責任極まりないけれど、やるといいと思う。
やりたいことをやりたい時にやって、会いたいひとに会いたい時に会って、一緒にいたいひとと一緒に過ごして。
自分は、歌いたい歌を歌って、それを聴いてほしいひとに聴かせて。
そんな当たり前のことが、少しだけ減っているんじゃないかと思う。
応援しています。みんなのこと。
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彼が書く文章は時に難解なものもあったけれど、この時に彼の口から発せられた言葉は、とてもシンプルかつストレートなものだった。一切の装飾がなかった。けれどそんな言葉も、心の真ん中にすとんと落ちていった。
同時に、漠然と思った。
MCの中で彼が口にした“夜”は、太陽が沈み月が上っている時間帯のことだけを指しているわけじゃない。どこか行き詰まった感覚があって、闇の中を歩いているような気持ちそのものの暗喩なのではないか、と。
そして、私自身も「みんなが夜に、どこか集まれる場所」を創ってみたいと思った。大人になってから、初めて抱いた夢だった。
孤独感や虚無感をほんのりとでも和らげられるような、場所、もの、こと。
この夢は、今も変わらず心の奥底で光を失わずに灯り続けている。
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あのライブがあってから、半年足らずで彼らのバンドは解散してしまうことになるのだが、私はその後も彼の活動を追い続けた。
鬱やアルコール依存症などを患ったものの、医師の勧めでもう一度音楽活動をすることになり、新たなバンドを結成したこと。
前のバンド初期も同様だったのだが、音源の無料配布を行ったこと。
これが少しずつ話題になり、渋谷のタワレコでは特設ブースが展開され、フリーサンプラーが平積みされたこと。1万枚以上を配りきったこと。
noteに投稿していた小説が書籍化・映画化されたこと。
生きることに苦しみながらも、彼が歩みを止めることはなかった。それどころか次々と大きなことを成し遂げ、新しい音楽も生み出し続けている。
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私自身、どうにもならない生きづらさに10代の頃からずっと悩まされている。何度振り払ってもまとわりついてくる蜘蛛の巣のように、今もなお身体のあちこちを音もなく這っている。
それでも、生きていけないなんてことはない。
どんなにスローペースでも、歩き続けていれば雲間から光が射す瞬間がある。
今はろうそくに灯っている火のような夢でも、いつか、大きく燃え上がらせる時が来るかもしれない。
そう思わせてくれた彼は、やはり正真正銘のロールモデルなのだろう。