ロールモデルってなんだ。ざっくりいうとお手本、模範といった意味らしい。最近の流れを汲んでみると、理想だとか、憧れ、目標と言い換えてもいいかもしれない。なるほど、それなら私にもあるかも!ということで、まずは好きな人たちのことを思い浮かべてみた。

個人的には、「あ、この人のこういうところいいな、すごいな、尊敬できる!」って思えないと長く一緒にいるのは難しいと感じている。

ということは、今私の周りにいる人、今後も付き合いを続けたい人を思い浮かべれば、それはすなわちロールモデルが見つかるってこと……?!と思い立ったのだ。

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さて、実際に考えてみた結果を発表しよう。うーん、難しい。というか、ありすぎて逆にわからなくなってしまった。

一例を挙げてみる。仲良しなあの子の、人の心に寄り添ってくれるところ、好きなあの人の、受け止めたうえで冷静な意見をくれるところ。これって、本質的には「相手のことを真剣に考える」という行動の表れという点では同じだけれど、行動自体は全く違っていて。それぞれ、ありがたみも別ベクトル。あの子とあの人で行動が入れ替わっている想像をしてみた。何故だかしっくりこない。

となると、本質だと仮定する「相手のことを真剣に考える」というところだけ切り取ってもその人たらしめるもの、その人の魅力とは言えないのかもしれない。相手のことを考える時に、じゃあどんな行動で力になろうか、という思考の過程が違うのだろう。

他にもいろいろな側面で考えてみたが、どれも同じような結論に陥ってしまった。

チャレンジ精神にあふれていて、エネルギッシュで、多忙ながらもしっかりこなしてしまう、部活の同期。一つのことにじっくりと集中して打ち込み、時間を忘れるほどに頑張っちゃう親友。決して無理せず、やるべきことはやりつつ力を抜いて、「頑張りすぎなくてもいいんだよ」と楽し気に笑っていた年上の友人。どれが正解、というものはなく、私から見ればどれも素敵だと感じた。

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この通り、私が好きな人たちを思い浮かべてみると、皆それぞれの個性や考え方、価値観があった。そして、特定の同じ考えの人がいたら好きになるのだろうか?と考えたとき、それは違うな、と思った。私はその人たち自身が好きなのだ。

理想に向かって邁進することはもちろん大切なことだし、素敵なことだと思う。でも、その理想のために自分らしさや、自分にとって心地いい考え方を捨ててしまうのはとてももったいないのではないだろうか?

隣の芝生は青く見える。自分と異なる考えは時にとても魅力的で、憧れてしまうが、自分もまた誰かから見たら魅力的だと思える側面がきっとある。

私のロールモデルはこうだ。「無理せず、自分にとってしっくりくる道を行く」。なんだかんだ、自分が過ごしやすくて幸せなことが、一番素敵なんじゃないだろうか。少なくとも、私にとっての理想の生き方はそうだ。いつか、自分の中の魅力に気づける日を待ちながら、大好きな人たちと明日も過ごせますように。