幼い頃、歴史の本が好きだった。歴史の本といっても、堅苦しいものや専門的なものではなく、小学生向けの伝記漫画が好きだった。気に入った偉人は何度も読み返していた。また、当時は歴史上の人物のランキング番組が流行っており、それも毎回見ていた。

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小学生の頃、一番好きだった偉人はヘレン・ケラー。彼女は幼少期に、病気の影響で視覚と聴覚を失ってしまった。言葉を覚えたり、歩けるようになってからの事件だったので、本人も周囲も戸惑っていたが、教師のサリバン先生をはじめ、周りの人々の協力を得ながら学問に励んだ。その結果、アメリカの有名大学を卒業し、障害者の福祉や教育を発展させるための活動家となった。

当時は「障害を持っているのにすごい」とやんわりとした感想しか抱けなかった。しかし、困難な状況でも学ぶことを諦めない強さと、障害者が一人の人間として生きるための支援をする優しさに心のどこかで惹かれていたのだと思う。通っていた歯医者に置いてあった彼女の伝記漫画を何度も読み返していた。

他にも、マリー・キュリーが好きだった。ポーランド出身の研究者で、夫のピエール・キュリーと共に放射線元素の研究に尽力した。その結果、女性として初めてノーベル賞を受賞した。

純粋に、かっこよかった。私が子どもの頃はまだ、研究者の男性割合が高かったため、「研究者=男性の職業」というイメージが強かった。「女性でも男性のイメージが強い職業を目指してもいいんだ!」と幼いながら勇気づけられた。その影響だろうか、男性色の強い職業だったパイロットに憧れていた時期もあった。

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手塚治虫の言葉も印象に残っている。
「みなさん、夢は二つ以上持ってください」
「夢が一つ破れても、もう一つの夢を目指せばいい」
将来の夢を書く欄は、決まって一つだった小学校時代。当時の私に、彼は複数の夢を持っていいと教えてくれたのだ。

手塚治虫は漫画家として有名だが、医師でもあった。彼みたいな大きな夢を叶えることはできないが、選択肢は一つじゃなくていいというメッセージに心が揺さぶられたことを覚えている。

そして20代の今、一番好きな偉人は塙保己一。
幼い頃の病気で生涯盲目になったものの、学問の道を歩み続けた人物だ。彼は、各地に散逸してしまった文献を後世のために残すことを決意し、収集し、編纂した。彼の編纂した資料のおかげで、歴史や文学、法律、医学といった学問が廃れずに伝えられてきたのだ。

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塙保己一の存在を知ったのは、2年前とつい最近だ。たまたま読んでいた歴史本のある章で出会ったのだが、彼の生涯が私にとって理想的だと感じたのだ。
私は学ぶことが好きで、大学に進学した。しかし、大学は学問をするための機関である一方、自分のキャリアの通過点に過ぎない。周囲の就活の話題が増えていく中、まだ学問の道を歩んでいたかった私は、将来が全く見えなかった。何とか大学院修士課程を修了し、就職したものの、会社で働き続ける自分が想像できなかった。

そんな中、彼を知り、どこか共鳴したものを感じた。なぜなら私は、価値のあるものを後世に残すための術を身に付けたくて大学院に進学したのだ。資料編纂や文書管理の勉強もした。必要だと、勉強したいと思ったから。
学問を諦めなくてもいいという希望が生まれた。そして、資料の整理や記録といった、たとえ地味で、一部の人が嫌うような作業も、紡がれた歴史を未来に残すために重要な行為であると再認識した。

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現在、私は美術館で働いており、一部の研究業務にも携わらせてもらっている。仕事の成果が、後世の役に立つなら何よりだ。
今の仕事にやりがいを感じている一方、頭の片隅で博士課程を目指してみたいと考えている。価値あるものを残すための基盤設計の研究がしたい。手塚治虫の言葉も、胸の奥にしっかり刻み込まれている。

私はこれからも、憧れの偉人たちのように、学問の道を歩んでいきたい。