幼稚園の正門をくぐると、私は走って園長先生の長い足元に抱きついた。
「うわあ、びっくりしたよ、○○ちゃん。おはようございます」
この瞬間を切り取った写真が今でも実家にある。
私はいたずらっ気のある笑顔で目線をカメラに向けている。
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私の初めてのロールモデルは幼稚園の園長先生だった。
彼は毎朝笑顔で迎え入れてくれ、お辞儀の仕方を言葉で教えるでもなく、示すことで教えてくれた。
どんな相手に対しても物腰柔らかく、目線を合わせることの大切さも彼から学んだ。
これは現在でも私の中で生き続けていることだ。
ロールモデルの大切さを知ったのは大学院に入った後だった。
女性政治家が少ないのは、政治界が男性ばかりだから。
子どもを持ちたいと思うのは、自身の親に尊敬の念を持っているから。
こういったロールモデル論は論拠あるものとして世の中に受け入れられている。
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私の研究している教育の分野では、更にロールモデルの重要性が説かれている。
子どもが未来を明るいと思えるように、理工分野を女子生徒がより選択しやすいように、教員はロールモデルになることを目指す必要がある、と。
教員が怠惰に過ごしているのに、子どもにキビキビ生活するように指導することはあまりに説得力がない。
担任を持ったら、30名強の生徒の前で、名の通り先を生きる人としてのお手本にならなければなるべきとされている。
だから先輩先生はよく新人先生に向かって言う。
「学校には早く来て遅くまでいることで、子どもたちに頑張っている姿を見せるんだ」
「目立つ洋服は着ない方がいい。そこで個性を示すことは、生徒の風紀に影響する」
はっきり言ってしまおう。教員1年目からこのロールモデル論に納得がいかなかった。
ロールモデルとは、そんな形だけのものなのだろうかと疑問だった。
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子どもたちが憧れる、「私も/僕もこうなりたい」と生きる前向きな気持ちを与えるのは、そんなことをしている大人ではないと、生意気ながら思っていた。
英語ではわかりやすい。
どんなに豊富な語彙力や文法能力を持っていても、発音がネイティヴに近くなければ生徒は引かれない。
彼らは先生の知識などに興味はない。興味があるのは、先生が流暢に話す異国の音だ。
つまり、自分に重ねやすいもの。もしかしたら、自分もそんな風になれるのではないかと、わくわくさせるもの。
寝坊癖が直らない生徒に、「ほら、先生は毎朝7時には学校にきているんだぞ」など言っても、全く憧れない。
「自慢?」と内心思われて終わる。
それよりも、「私は、ハイヒールが好き。でも、ハイヒールを履いては早く歩けないから、予定しているよりも10分早く行動するようにしているんだよね」とはにかんで話す先生の方がいい。
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ロールモデルになろうとすればするほど、人は型にはまった先入観たっぷりの行動様式を採用するようになる気がする。
そうではない。
肩の力を抜いて、自分の好きに生きているだけで、その人の輝きは確かに周囲に伝わっている。
気分に合わせてカラフルな洋服を取り入れ、どんな生徒とも目線を合わすことを意識して過ごしていた私の教員生活が終わる年の春。
顧問を務めていた部活の卒業生が、お別れ会で真面目な顔で手紙をくれた。
その子とは、私が顧問をもって間も無く、部の方針でぶつかった記憶がある。
そこから部活の時間は一緒にプレーするようになって関係性は良好になったと思っていたため、どきり。
帰りのバスで読んで涙が流れた。特にこの一文。
「先生は、先生らしくなくて話しやすかった」
誰かのお手本になろうだなんて、憧れになろうだなんて思う必要はない。
ただ自分らしく生きているその姿が、すでに誰かの胸を打っている。
だから私はこれからも、自分を何よりも大切に楽しく過ごすことだけに一生懸命でいたい。