「将来は海外で働きたい」
中学2年生で家族と上海に旅行した時、高校1年生でアメリカにホームステイした時、高校3年生でインドネシアへ卒業研修に行った時、大学時代に香港やシンガポールに留学、友人とフランスなど二十カ国以上を旅していた時、私の中で確かにその夢が芽生えていた。

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初めての海外旅行といえば小学校1年生の時のフィジー諸島で、そこから毎年、語学はできずとも、どこかしら海外に行く機会があった。私は日本で生まれ育ったが、幼稚園からミッション系スクールに通い、女子だけの毎日同じメンバーで高校卒業までエスカレーター式で過ごす環境だったことから、なんとなく海外や外の世界に憧れを持つことが多かった。

そんな同質的で安心安全なユートピアのような環境にいたからこそ、井の中の蛙で、思いきって「海外にいきたい!」と即座に行動に移せるのだろうと今では思っている。

海外への憧れが、旅行など余暇や娯楽のように日常の外ではなく、自分の人生の多くを占める選択肢として身近に現実になったのは、大学時代の中華圏への留学を経て、就職する時のことだった。大学3年時に中華圏への長期留学から帰国したその日に、意志は固まっていた。

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「中国語をつかい中華圏との仕事に就くかと思っていたけど、英語であれば、もっと多様なバックグラウンドの人達と仕事ができる」そう思い、中国から帰国したその日から駅前英会話スクールに毎日通い、隙間時間は資格試験の勉強や洋画をすべて字幕なしで繰り返し見るなど、英語漬けの日々をスタートさせることになる。

「どうしても英語を使いグローバル企業の多国籍チームで働きたい」英会話講師にそういって、就活までの間、自ら毎日集中的な1on1のスパルタ英語教育を受けることにした。

この1年間は、勢いや決断できちんと「理想を想像」できたからこそ、毎日坂を駆け上がり、夢に向かって切符をつかみに周囲の親身で専門的な外国籍講師たちと必死に二人三脚できたのだと思う。この時支えてくれた講師とは、卒業した今でも私の確かな憧れの存在で師であり、一方、ビジネスや異文化について、プライベートなど今後の人生についてまでも対等に話ができる本当に良き親友でもある。

そんな努力も功を奏し、生粋の日本人である私も、ついに念願だった多国籍企業へ就職することになる。この企業から内定が出たときは、大学帰りにまっさきに塾講師のところに行って、嬉しい報告と感謝を伝えにいった。幼い頃からの夢が現実となり、ついに「外国」や「異文化」がしっかりと自分の人生の一部になる。自分の中でたしかに理想を描き、涙したり腐心したり素敵な周囲の協力に多々恵まれた日々があったことで、意志もバイタリティも充満な、そんなガーベラのような20代をスタートさせた。

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30代を前に振り返ると、夢を持つから日々頑張れ、躍動し、周りに応援され、紆余曲折も自ら立ち上がり自分の人生を十全に生きている、そんなしなやかで魅力的な大人女性への一歩を進めていたのだなと温かく思えている。