「ロールモデル」という言葉を使ったことは今まで一度もない。が、ロールモデルを日々考えながら生きてきたとは思う。30歳がすぐそこになった今の私のロールモデルについて話したい。

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ある時から私は「女性であること」がほとほと嫌になることがある。というか、嫌という漢字の左側に女とついていることにも腹が立つ。まぁ好きの左側も女ですが。
女であることで辛い想いをしたことが何度もあるが、女であることを武器にもしたくないというプライドもある。小学生の頃までは男子をライバルだと思っていたのに、やはり実感する男女の差。腕相撲は歯が立たなくなり、身長も抜かされ、なぜか学力もあり、デジタルに強い。言い出したらきりがない。
教師になった社会人1年目、私はそれまでの人生の中で男女の差の最たるものを知った。まず、生徒からのなめられ方がすごい。それに伴って保護者からもなめられ、気に食わんことがあれば父親が出てくる。私が何を言っても怒りはヒートアップ、男性教員が横から同じことを言うとおとなしくなるのだ。

そして、心身ともにキツイ激務。行事前には大量のパイプ椅子を運び、重たい机を運び、テントを設置。暴れるヤンチャ男子の仲裁に入ろうとして、双方から殴られそうになったこともある。「生まれ変わったらムキムキの男になりたい」と本気で思った。悔しさと諦めの日々だった。

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そんなこんなで教師を辞め、今は別の業界にいる。今の私の環境は、圧倒的に女性が多い。母数が多いというのもあるのだろう、世の中にはこんなにも輝いて働いている女性が存在したのかと驚いた。

女という性をネガティブにしか思っていなかった私にとって、新しい世界。そこで感じるのは「表面的な強さ」ではなく「人間としての本当の強さ」だ。男性は強い。これは動物としてどうしようもない。でも、本当の強さは、相手を圧倒する力ではなく、相手を包み込みほぐす力なのだ。例えるならば、「岩」ではなく「竹」。
そして今自分に問いかける。私のロールモデルは「自分が好きな自分」。ちょっと意味がわからないかもしれない。具体的な目標の人物がドンピシャでいれば楽なのだが、現時点は不在。でも、何かに迷ったとき、選択をしなければけないときに、ロールモデルが指針となることが多い。そういうとき「私が好きな私になるにはどうすればいい?」と考える。どういう人間でありたいかを基準にものごとを決めると、理想の自分に近づけるような気がする。

世の中、素敵な人が本当にたくさんいる。

毎日YouTubeやInstagramで憧れの生活を眺めては、「はぁ~ほど遠いな~」と現実に戻る日々である。でも、そんな素敵な人たちにもしんどいときがあって、笑っていられないときがあって、出来合いの食事を摂ったり、部屋の片づけをさぼったりする日もあるのだと勝手に思っている。モデルが見つからないなら自分で作ればいいじゃない。自分で自分のことを「素敵だ」と思えたらそれは、本当の幸せであり、本当の強さなのではないか。