「ちょっとやそっとのことで、逃げたら負けだよ」
幼少期から、祖母に言われ続けてきた言葉。
そのせいか、「逃げる」と聞くと、マイナスなイメージを抱いてしまう。
アニメやドラマで仲間を裏切って逃げる、卑怯者。
"現実逃避"や"敵前逃亡"など、あまり良くない意味の熟語。
それらも「逃げるのはダメなこと」だと強調してくる。

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祖母の言う「ちょっとやそっとのこと」。
自分の中で、それがどの程度なのか分からなかった。
なので、気づくと我慢するのが当たり前になっていた。

学校や職場でのいじめや嫌がらせ。
知り合いとの乗り気じゃない予定。
苦手な飲み会。
ずっとずっと、私は我慢してきた。

好きなことをしているときでさえ、嫌なのに仕方なく役割を引き受けることもあった。
誰かといて選択を迫られたとき、私は必ず自分が不利になる方を選ばざるを得なかった。
私が自由でいられる時間は、少なかった。

一人でいるときも同じ。
我慢していたときのことを思い出していた。
「また同じ思いをするのか」と苦痛を感じていた。
私が解放されるのは、何の夢も見ずに夜ぐっすり眠れているときだけだった。

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そんな私にも、転機が訪れた。
大切な祖母が、がんで寝たきりになった。
亡くなるまでの間、毎週のように帰省して、母と一緒に祖母の介護をしていた。
ある日、祖母のものを整理していると、日記を見つけた。
毎日あったことをびっしりと書いていて、さすがだと思った。
私のこともたくさん書いてあった。

余命宣告された日からも、前向きな言葉が並んでいた。
「病魔に負けてたまるか」
「できることをしよう」
末期でどう頑張っても助からない状態で、祖母本人が一番つらいはずなのに。
こんなときでも祖母は、自分の運命から逃げない。
でも、倒れる数日前の日記は字が弱々しくなり、一言ずつになっていた。
「負けたくないよ」で終わっていたのを見たときは、涙が止まらなかった。

祖母が元気なときに、やり残したことがたくさんあると言っていた。
動けなくなって、祖母はもう何もできないことを悔いていた。
ちょうどこの時期、私は仕事で精神的に限界を感じていた。

転職を考えていたけれど、それは"逃げ"なのではないかと思ってしまっていた。

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ある日、SNSで見かけた言葉に目が留まった。
「環境を変えて自分に合った場所で輝こう」
このままずっと悩み続けていても変われない。
祖母のように、後悔だらけで人生を終えたくない。
私は、思い切って逃げることを選んだ。

祖母が亡くなる1ヵ月前に、今の会社から内定をもらった。
普通に会話できる状態ではなくなっていたので、祖母には報告できなかった。
転職してからもうすぐ2年経つ。
相変わらず、祖母の影響で忍耐強く頑張ろうとしてしまうけれど、以前とは少し違う。
嫌だと思ったら断れるようになった。

自分の意見や気持ちを少しずつ言えるようになった。
今までやりたかったことに、どんどん挑戦できている。
私は逃げることで、自分を変えることができた。

「逃げてよかったんだ」と心から実感している。
これからも自分らしく、やりたいことをすべてやりきろう。
そして、後悔のない生き方をしていきたい。